後醍醐天皇から信任を受け、劣勢の南朝をお支えし続けた公卿で、楠木正成・新田義貞を左右に従えた「建武元勲」の筆頭。北畠顕家の父。
また南朝の正統性を主張した『神皇正統記』などの著作により、近代には過度に高く、現代では過度に低く評価されている。
神皇正統記
ご幼少の後村上天皇に奉るために叙述された「君徳涵養」の書『神皇正統記』において、親房は「大日本は、神国なり」と記して、職業軍人である武士が政治に介入することを許そうとせず、また神武天皇からの父子一系の皇統が不滅であることを前提としながらも、皇統内で「正統」が移動していくという親房独特の「正統」観を記している。
昭和戦前期においては『神皇正統記』は戦意高揚・武士道称揚に不可欠のバイブルと化し、東亜大戦後には一転して、北畠親房は「保守反動」の象徴的人物と見なされることになってしまった。