概要
ペンシルバニア級はアメリカ海軍の戦艦の艦級の一つである。同型艦は2隻(ペンシルバニア・アリゾナ)。
本級には船型の大型化に対応し得る十分な予算が承認され、基本的には一つ前のネバダ級の設計理念を踏襲しつつ
全主砲塔の三連装化や推進軸の増大などによって艦の性能向上が図られている。
排水量は米戦艦として初めて30000tを超え、日本の扶桑型にかわり世界最大の戦艦となった。
一例として本級と扶桑型との比較を考慮すると、
砲装は同等で速力は劣るが、防御力は本級が勝るといったところであり、
日本以外の外国戦艦と比した場合でも遜色はなく、むしろ優秀な能力を持つ良艦であった。
兵装
主砲
本級は主砲として14インチ45口径砲を装備する。
主砲の搭載形式は三連装砲塔を前後2基ずつの計4基である。
本砲は前級搭載の砲とほぼ同一砲であり、ニューヨーク級などの他の45口径砲搭載艦と同じく海軍休日時代に改修を受け、
最終的に弾重量680kgで初速790mps、最大射程32kmという能力を得た。
ちなみに改修前の弾重量は635kgである。
また本級は主砲門数を12門に増し、日本の扶桑型や伊勢型と同等としているが、
砲塔基数は前級より据え置きとなっており、船体長やバイタルパートの拡大による防御力低下の阻止に役立っている。
ちなみに、余談ではあるが、
扶桑型を含む日本戦艦が主砲塔の動力機構に水圧を利用し、機力不足の為に交互打ち方を射撃法の中軸とせざるをえなかったことに対して、米戦艦では電動油圧式の動力機構を採用したため、発射速度や投射弾量に優れる主砲装を備えることができたと言われている。
副武装
本級の就役時、副武装として51口径5インチ副砲と水中魚雷発射管を装備した。
第一次大戦後には対空兵装が追加されて、50口径3インチ高角砲と12.7㎜機銃が装備されたほか、
波浪が吹き込む前後のケースメイトは閉塞され、一部は甲板上に移された。
まもなく海軍休日時代を迎えると、3インチ砲を25口径5インチ高角砲に換装し、魚雷発射管を撤去。
対空機銃として28㎜機銃が追加された。
本級は真珠湾攻撃によって被害を受けたが、損害が軽微だったペンシルバニアは早期復旧のために小規模改装のみで一時戦列復帰となる。
この時の改装では5インチ高角砲のシールド取り付けや28㎜機銃の増強、20㎜機銃の新設が行われた。
1942年秋以降に再び改装となり、ネバダを参考にした近代化改装が実施される。
副砲と高角砲は廃統合され、38口径5インチ両用砲に更新。
対空機銃は28㎜機銃が40㎜機銃に更新となり、12.7mm機銃は全廃されて20㎜機銃を装備した。
観測装備
本級は艦橋上と主砲塔に測距儀を装備し、前後マスト(籠)上に見張り所を設置した。
海軍休日時代、マストは三脚式にとなって見張り所は密閉化。艦橋は拡大されて、射撃方位盤を搭載した。またペンシルバニアには1941年までに索敵レーダー・CXAM-1(CXAMの改良型)を装備した。
(以下はペンシルバニアの状態にのみ言及)
真珠湾攻撃後の小規模改装では、前檣の射撃方位盤上にMk.3射撃管制レーダーが搭載され、
5インチ砲用のMk.37射撃方位盤にはMk.4射撃管制レーダーを搭載した。
1943年の大改装では索敵レーダーには対空捜索レーダー・SKと対水上捜索レーダー・SGを装備。
後部三脚マストが撤去されて背の低い塔が設置され、射撃方位盤とMk.3を装備した。
1945年にはSKはSK-2に更新。高度測定レーダー・SPが後檣に設置された他、
後部塔のMk.3および射撃方位盤は撤去されて、かわりにMk.8射撃管制レーダーを備えたMk.34射撃方位盤が搭載。前檣上のMk.3はMk.27に更新された。
またMk.37射撃方位盤上のMk.4は改良型のMk.12射撃管制レーダーとMk.22測高レーダーとに更新され、
40㎜機銃用のMk.51射撃管制装置が搭載された。
航空機運用設備
航空機の運用は第一次大戦後に開始され、艦尾と三番主砲塔上にカタパルトを1基ずつ装備した。
航空機揚収には艦尾のクレーン1基に加えて艦中央の艦載艇揚収クレーン2基が使用された。
大改装後、防御上の問題から航空機運用スペースは艦尾に統一されて艦尾以外のクレーンは撤去された。
艦体
装甲防御
本級の装甲防御は概ね前級とほぼ同等のものである。
対水雷防御が不十分であることや水平防御が薄めであることなどは標準型と呼ばれた米旧式戦艦に共通する要素であり、
本級は海軍休日時代にはバルジを装着し、真珠湾攻撃後の復旧時に水平装甲を拡充することでその弱点を補った。
就役時の各部の装甲厚は甲板76㎜、水線343㎜、バーベット330mm、砲塔前盾457mm、砲塔側面229mm、砲塔天蓋127mm、砲塔後面229mm、司令塔406㎜である。
航走性能
本級は直結タービン推進方式(ボイラーは重油専用)を採用し、船型拡大を受けて前級の2軸推進を改め4軸推進となった。
第一次大戦後に機関を換装され、ギヤードタービン推進方式となって低速時の燃費性能が向上した。
本級の機関出力は34000shpで最大速力は21knである。
艦歴
就役~太平洋戦争以前
本級は1913年度海軍計画にて予算を認められ、1916年6月12日にペンシルバニア、1916年10月17日にアリゾナが竣工した。
本級は第一次大戦中に就役したが、本級の主機は重油専燃でイギリスから供給される石炭を利用することが出来なかったため、イギリスへの派遣は行われなかった。
第一次大戦後から海軍休日時代には外国への親善訪問を行いつつ、近代化改装を実施して能力の向上を図った。
またペンシルバニアは1932年頃から合衆国艦隊の旗艦となり、艦隊再編の後に太平洋艦隊へ配備されるまでその任は続いた。
太平洋戦争
アリゾナの沈没
1941年12月、本級2隻はハワイの真珠湾にて日本軍の奇襲攻撃を受けた。
停泊中であったアリゾナは前部主砲塔付近で甲板を貫通した爆弾により大爆発を起こした。
艦前方が吹き飛ばされ、艦橋は崩壊。船体は大破着底し、火災は2日後におさまった。
その後、アリゾナの復旧は断念されたが、
利用可能な一部の装備品はペンシルバニアに転用されたほか、後部主砲6門がオアフ島の海岸砲台に設置された。
1942年12月1日、アリゾナはアメリカ海軍から除籍された。
ペンシルバニアの戦歴
真珠湾攻撃時、船渠に入っていたペンシルヴェニアは軽微な損傷を被っただけであったため、
ペンシルバニアは不足していた戦艦戦力を補うべく急ピッチで復旧が行われ、1942年4月には戦列復帰した。
その後しばらく太平洋上にて日本軍の進攻に警戒していたが、ミッドウェー海戦での勝利と新型戦艦の就役により多少の余裕が出来たので、ペンシルバニアは1942年10月より再び改装を受けることとなった。
この改装で新型の対空兵装やレーダーを搭載し、艦容を一新したペンシルバニアは1943年2月より戦列に復帰し、アリューシャン方面進攻やギルバート諸島攻略に参加した。
1944年にはマリアナ諸島攻略に動員され、次いでフィリピン攻略に参加。
10月にはレイテ沖海戦が生起し、ペンシルバニアはスリガオ海峡海戦にて日本艦隊を迎え撃つが、レーダーの不調と射界不良によって発砲の機会には恵まれなかった。
1945年には再び改装を受けて一部兵装を更新。
工事完了後は沖縄へ向けて出撃したが、日本軍機の雷撃を受けて損傷。
応急修理中に終戦となった。
クロスロード作戦
戦後、ペンシルバニアは本土に帰投したが、老朽化の進行から艦隊を退かれることが決まり、
本格的な修理は実施されないまま、原爆実験に使用されることになった。
1946年7月、標的艦として参加したクロスロード作戦では二度の核爆発を耐えて沈没を免れるが、1946年8月29日に退役。破壊された船体はクェゼリン環礁に曳航された。
ペンシルバニアはクェゼリン環礁にて傾斜したまま浮かび続けていたが、
1948年2月10日に船体が横転して沈没。その後の1948年2月19日、アメリカ海軍より除籍された。
アリゾナ・メモリアル
第二次大戦後、アリゾナの船体は着底した状態のまま放置されていたが、1950年頃よりアリゾナには国旗が掲揚されるようになり、1962年5月にはアメリカ政府指定の慰霊碑に認定されて、アリゾナはアリゾナ・メモリアルとして真珠湾に鎮座することになった。
その傍には日本の降伏文書調印式が行われたミズーリが係留されており、
この2隻はそれぞれが太平洋戦争の始まりと終わりを示す象徴として、人々に戦争を伝えている。
また同じく真珠湾攻撃で撃沈されたユタもその残骸が真珠湾内に沈没したままとなっており、
アメリカ合衆国国定歴史建造物に指定されている。
同型艦
関連項目
紺碧の艦隊…アリゾナは開戦直後に紺碧艦隊の雷撃により轟沈。ペンシルバニアは日本海軍に鹵獲され、航空特殊戦艦「筆汁芭斤」に改造された。