概要
ニューヨーク級に次いで整備されたアメリカ海軍の超弩級戦艦の艦級。
予算的な問題で艦型の拡大が困難であったため、火力を据え置きつつ武装配置の刷新や、新機軸の導入により能力の向上が目指されている。設計には先進的な造艦技術が多く盛り込まれ、三連装砲塔や、世界初となるバイタルパートの集中防御(集中防御形式)などが採用された。本級は後述するコンセプトに基づき建造された最初の艦級であり、その後の米戦艦の基本を成した他、他国の戦艦にも大きく影響を与えた。
「標準型戦艦(Standard-type battleship)」
本級はは米海軍が構想した「標準型戦艦(Standard-type battleship)」というコンセプトに基づく最初の戦艦だった。
当時の米海軍の主要な仮想敵はイギリス海軍と大日本帝国海軍だったが、前者が港やドックの規模などといった物理的制約を、後者が経済的制約をそれぞれ受けていたのに対し、米海軍はそのいずれも特に制約を受けていなかった反面、議会による予算的制約を強く受けており、高性能戦艦の大量建造といったことはできなかった。
これら両海軍に対抗する艦隊を整備することは必要だったが、数的優位を重視して時代遅れの設計を持つ艦を長期に渡って建造することも、かといって質的優位を重視して高性能艦を少数建造することも、米海軍にとって望ましいものではなかった。そこで、速力については低速のままとして妥協しつつ、火力や防御力の漸進的な改良を行い続けるという現実的な妥協案が採用されることとなった。これが「標準型戦艦」である。
標準型戦艦のコンセプトは、
- 長距離射撃の重視
- 集中防御形式の採用
- 21ノットの速力と700ヤード(約640m)の旋回半径
というものである。特に速力がイギリス・日本の両海軍の戦艦に対して劣っていることは批判されているが、このコンセプトを適用した異なる艦級の戦艦は、これらを混合させた一つの戦術単位として運用することが可能であった。これは保有する戦艦・巡洋戦艦の速力が22ノット前後から30ノットと幅広いイギリス海軍と大日本帝国海軍に対して、容易に戦力集中の優位性を得ることが出来ることを意味していた。
両海軍はもし米海軍の戦艦部隊に対抗する場合、自軍の戦艦部隊を共通して出せる最大速力で運用するか、あるいは個々の艦級の戦艦の速力を生かすために保有する戦艦を低速戦艦部隊と高速戦艦部隊に分けて位置的な優位を得るか選択する必要があったが、後者を選択した場合連携やタイミングを誤れば、統合して運用される米海軍の戦艦部隊に各個撃破される危険が生じることとなる。前者を選択した場合でも米海軍に対して速力上は優位であったが、それもたかだか1.5~2ノット程度の差に過ぎないため、戦闘に対し決定的な影響を与えるとは考えにくかった。
これにより、異なる艦級であっても共通した特徴を備えているため一つの部隊として運用できる米海軍は両海軍に比べて容易に戦力集中が可能だったと言えるだろう。
ネバダ級以降、標準型戦艦のコンセプトはペンシルバニア級、ニューメキシコ級、テネシー級、そしてコロラド級に適用され、これらの戦艦が戦間期(海軍休日時代)の米海軍主力を占めることとなる。
一方で技術の進歩に伴いより小型高出力な機関が開発されたことから、ノースカロライナ級以降の米戦艦はこのコンセプトを廃し、攻防走を高レベルで両立させた高速戦艦として発展していった。
参考:NavWeaps「History and Technology - A Survey of the American "Standard Type" Battleship」
兵装
主砲
主砲の45口径14インチ砲はニューヨーク級やペンシルバニア級と同一であり、1930年代に弾重量680kg、初速790mpsで最大射程32kmという性能に更新された。
扶桑型戦艦の四一式35.6㎝砲(改装後)より弾速と弾重量の面で勝っているが、発射速度は毎分2発に対し毎分1.25発と劣っている。ただし、日本戦艦は砲塔の機力不足から斉発時の発射速度維持が困難である。
尾栓形状が垂直方向に開閉するため、砲塔の三連装化が比較的容易だった。
主砲塔の配置は連装砲塔と三連装砲塔を各2基ずつ混載しているが、これによりニューヨーク級より砲塔の基数を減らし、防御区画を縮小している。
副砲と魚雷発射管
就役当時、51口径5インチ副砲と水中魚雷発射管を装備した。
第一次世界大戦前後には50口径3インチ高角砲と12.7mm機関銃を搭載し、波浪が吹き込む不具合があった副砲ケースメイトが閉塞され、副砲の門数を減じた。
戦間期の改装では、3インチ砲を25口径5インチ高角砲に換装し、魚雷発射管を撤去。1.1インチ対空機関砲を搭載した。
真珠湾攻撃後の大改装では、副砲と高角砲を統合して38口径5インチ両用砲が装備し、40mm機関砲(ボフォース)や20mm機関砲(エリコン)を装備した。
観測装備
砲塔と艦橋上に測距儀を搭載し、前後マストの頂上には露天の見張り所を有した。
戦間期の改装ではマストは三脚式に更新され、見張り所は密閉化され射撃方位盤を搭載した。
真珠湾攻撃後の改装では対空索敵用のSKレーダーや対水上捜索用SGレーダーが搭載され、射撃方位盤に対水上射撃管制用のMk.3レーダーが追加された。
Mk.37射撃管制装置にMk.4レーダーが搭載されたが、戦争中に改良型のMk.12レーダーに換装した他、高度測定用にMk.22レーダーが追加された。
艦載機、艦載艇等
観測機の運用は第一次世界大戦後に始まり、1920年代には3番主砲塔上と艦尾にカタパルトが装備されて水上機の運用が可能となった。
航空機揚収クレーンは艦尾に新設されたが、3番主砲塔上のカタパルトを使用する際には艦載艇揚収クレーンを利用した。
真珠湾攻撃後の大改装では、防御上の問題から航空機運用設備は艦尾に統一された。また両用砲の配置の邪魔となっていた艦載艇・航空機揚収クレーンは撤去され、小型化されて、3番砲塔脇に移設された。
艦体
船体・上部構造物
居住スペースの拡大を考慮して長船首楼型船体となり、凌波性が改善された。
竣工時、煙突は一本で、籠マストが艦橋上と船首楼の収束部に一基ずつ設置されていたが、戦間期の改装で三脚マストに更新され、頂上に密閉式の見張り所が設置されたことや艦橋設備が増設されたことにより外観が一新された。
真珠湾攻撃後の大改装では、艦橋と前部マスト、煙突が一体化され、捜索レーダーの装備によりマスト頂上の見張り所が廃止された。
艦中央の艦載艇運用設備が移設されたことで、その位置まで後部マストが前進し、排煙の直撃を避けるため高さが短縮された。
防御
前級以上の攻防力獲得という目標に対し、排水量の不足を武装重量と装甲範囲の削減で補うための集中防御形式が採用され、バイタルパートの装甲厚は前級比数十%増しに強化された。
第一次大戦以前に建造されたため水中防御は貧弱である。縦隔壁とその内外側に設けた空所の水密区画で対応しており、艦底を三重底にするなどの工夫がなされたが、水中弾対策は考慮されていない。
戦間期の改装でバルジの装着などが実施された。
竣工時の各部の装甲厚は甲板76mm、水線343mm、バーベット330mm、砲塔前盾457mm、砲塔天蓋127mm、砲塔側面254mm、砲塔後面229mm、司令塔292mmである。
機関・航走性能
重油専燃ボイラーを使用しているが、ネバダは蒸気タービン、オクラホマは蒸気レシプロと、同型艦なのに別の形式が採用されている。将来、高性能な蒸気タービンを開発するための比較研究のためであった。
デラウェア級戦艦ノースダコタに初めて採用されて以来、アメリカ製蒸気タービンには低速時の燃費に問題があり、ニューヨーク級では低速な蒸気レシプロに逆戻りしていた。
しかし、1917年にイギリス製タービンに換装されたノースダコタは燃費が改善し、ワシントン条約によるノースダコタの廃艦の際、イギリス製タービンはネバダに移植された。
機関出力はネバダが26500shp、オクラホマが24800shpで、米戦艦として最後の2軸推進である。
最大速力は20.5kt。航続距離は就役時に12kt/5200浬、改装後11000浬。
来歴
1912年度海軍計画で予算が認められ、1916年3月11日にネバダ、1916年5月2日にオクラホマが就役。
1917年4月6日、アメリカが第一次世界大戦に参戦。
慣熟訓練後にイギリスへ派遣され、ドイツ海軍の大西洋での通商破壊活動を警戒。イギリスは同盟国の日本に金剛型戦艦の派遣を要請したが、断られたため、その代役であった。ネバダ級は重油専焼缶のため、主に石炭を利用しているイギリスでは補給に苦労した。
第一次世界大戦の終結後、近代化改装を実施した。
1930年代後半以降、太平洋方面に配備され、1941年には真珠湾を母港としていた。
1941年12月8日、真珠湾攻撃。日本海軍の奇襲を受け、ネバダもオクラホマも共に戦闘不能となった。ネバダは修理と近代化改装を受けて再就役したが、オクラホマは浮揚されたものの復旧の見込みがなく、修理が断念された。
ネバダは1948年の7月31日、ハワイ沖で標的艦として海沈処分。
オクラホマは1947年5月17日、スクラップとして売却するため米本土に曳航途中、嵐に遭って沈没した。