雨月物語
うげつものがたり
江戸後期に上田秋成の著した五巻五冊の読本。明和五年(1768年)序、安永五年(1776年)刊。
主に中国(明代)白話小説を翻案しただけにとどまらず内容の質を大幅に落とし、和漢の知識をひけらかしただけの表層的な表現で糊塗した代物にすぎないが、なぜか近世日本文学の代表作と持ち上げられる。その割に後世取り上げられることは稀である。pixivでもあまり題材とされない。要するに、作品に魅力がなかったのだ.
各話概略
- 白峯:西行法師と崇徳院怨霊が王道について対話激論する話。
- 菊花の約:自刃して幽霊になってまで親友との約束を守った男の話。作中に明確な記述はないがなぜかゲイの話に勘ぐられることが多い。
- 浅茅が宿:京都まで出稼ぎに行った夫を幽霊になっても待ち続けた女の話。
- 夢応の鯉魚:夢に鯉となって自由に泳ぎまわった芸術家肌の僧侶の話。
- 仏法僧:ある親子が高野山で豊臣秀次一行の怨霊に遭遇した話。
- 吉備津の釜:吉備津の釜:吉備津神社の神主の娘と祝言をあげたぼっけえちばけた(岡山弁)庭瀬の豪農の息子が鞆の浦(広島県福山市)の遊女と逃げ、しかし追ってきた娘の怨霊によって神隠しに遭う物語(明確に死亡確認されてはいない)。「怪異表現」に関してだけは優れているのだが・・・。
- 蛇性の婬:紀伊国の田舎に住む網元の役立たずの息子が美しい蛇の妖怪に付きまとわれるが、最後には(蛇が)調伏される物語。秋成の文才の凡庸さの証明でもある(関連:ラミア)。
- 青頭巾:稚児への愛執から人の死体をあさるようになった僧侶を快庵禅師が解脱に導く話。
- 貧福論:武士・岡左内の枕元に「黄金の精霊」が現れて経済原理について対話する話。
全9話中7話が中国白話小説の翻案というか模倣。話の筋書きがほぼ同じで舞台や登場人物を日本のそれにしただけの内容なので例えれば「日本製の食器に盛られ、日本風の盛り付けはなされているが本質は中国料理」といった塩梅。しかもその完成度は種本に較べてとても残念なレベルだった。近世には『伽婢子』や『南総里見八犬伝』など翻案小説自体はそれなりにあり、その意味でも特異ではない。
その事実が日本人の民族的劣等感をかきたてるためか、近代以降の中国蔑視の風潮が強まった日本では「こんな出来の悪いモンはなかったことにしよう」という有形無形の圧力が常にかかり続けた。”評価”と作品の認知度にきわめて大きな乖離がある理由がこれであることは言うまでもない。「蛇性の婬」では内容とほぼ関係ないのに道成寺・安珍清姫と関連付けたがるところ(本編の最後に取ってつけたように少し出てくるだけ)や「吉備津の釜」の種本を誰も言えないところからもそれは明白であろう。なお、この2作に関しては種本の真意を明らかに誤読していることを記しておく。
数少ない上田秋成のオリジナリティの発露があるとするなら登場する女性像だろう。種本の白話小説には能動的で元気、有能な女性が毒々しくも生き生きと活躍するのに対し、『雨月物語』では女性は無力ゆえに従順・受動的な存在としてのみ描かれている(逆に「菊花の約」「蛇性の淫」では過剰に男らしさが強調されている)。商人という下層階級出身であり、また両手の指が数本不自由で、種本の著者ほどの文才と自由闊達な精神を持てなかった秋成の劣等感や虚栄の裏返しあるいは女性(特に力のある)を見下し、その一方で彼女たちを恐れていた複雑な心理(ミソジニー)の表れかもしれない。本人も言うように、少なくとも作品の質は「源氏物語」や「水滸伝」と並ぶものではなかったことは言うまでもない、本人の真意はどうあれど。
なお「吉備津の釜」の種本は「牡丹灯記」じゃあないよ。