小野田寛郎
おのだひろお
小野田寛郎とは、日本の軍人。大日本帝国陸軍の情報将校で、終戦を報されずフィリピンに29年間ものあいだ潜伏。ようやく発見され帰国後は実業家となり、健全な日本人の育成に努めた。渾名は『最後の日本兵』。
概要
大正11年に、和歌山県海草郡亀川村(現:海南市)に、県議会議員の父と、教師の母の間に四男として生まれる。
昭和19年に、大日本帝国陸軍の情報将校として大東亜戦争に従軍し、フィリピン・ルバング島にてゲリラ戦を展開、戦争終結を報されずにその後も継戦し、29年間ものあいだ潜伏を続けていた末に発見され帰還し、元上官によってようやく任を解かれた。
そのため最終階級は『予備陸軍少尉』となっている。
当時の日本政府は、小野田氏に対して見舞金として100万円を贈呈したが、小野田氏はそれを拒否し、それでも見舞金を渡されたため、見舞金と多くの方々から寄せられた義援金は、全て靖国神社に寄付した。
一部のマスコミの虚偽報道によるバッシングなどが原因となり、も戦前から大きく変貌した日本社会に馴染めなかった彼は、後に帰国後に結婚した妻の町枝婦人と共にに、次兄のいるブラジルに移住して牧場を経営。10年を経て経営に成功する。
その後は、凶悪な少年犯罪が多発する現代日本社会に心を痛め、「祖国のため健全な日本人を育成したい」という一心から、実業家となってサバイバル塾『小野田自然塾』を主宰し、自身の陸軍時代における密林での生活経験を元に、逞しい日本人を育成するため、野営などを行った。