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小野田寛郎の編集履歴

2015-09-30 16:50:30 バージョン

小野田寛郎

おのだひろお

小野田寛郎とは、日本の軍人。大日本帝国陸軍の情報将校で、終戦を報されずフィリピンに29年間ものあいだ潜伏。ようやく発見され帰国後は実業家となり、健全な日本人の育成に努めた。渾名は『最後の日本兵』。

概要

大正11年に、和歌山県海草郡亀川村(現:海南市)に、県議会議員の父と、教師の母の間に四男として生まれる。


昭和19年に、大日本帝国陸軍情報将校として大東亜戦争に従軍し、フィリピンルバング島にてゲリラ戦を展開、戦争終結を報されずにその後も継戦し、29年間ものあいだ潜伏を続けていた末に発見され帰還し、元上官によってようやく任を解かれた。

そのため最終階級は『予備陸軍少尉』となっている。


当時の日本政府は、小野田氏に対して見舞金として100万円を贈呈したが、小野田氏は受け取りを拒否し、それでも見舞金を渡されたため、見舞金と多くの方々から寄せられた義援金は、全て靖国神社に寄付した。


上述した理由から、一部のマスコミから疎まれ、虚偽報道によるバッシングなどが原因となり、戦前から大きく変貌した日本社会に馴染めなかった彼は、後に帰国後に結婚した妻の町枝婦人と共にに、次兄のいるブラジルに移住して牧場を経営。10年を経て経営に成功する。


その後は、凶悪少年犯罪が多発する現代日本社会に心を痛め、「祖国のため健全な日本人を育成したい」という一心から、実業家となってサバイバル塾『小野田自然塾』を主宰し、自身の陸軍時代における密林での生活経験を元に、逞しい日本人を育成するため、野営などを行って子供たちに自然から多くを学ばせる独自の教育を行った。

それと同時に講演会なども積極的に行い、高齢ながら日本ブラジルを往復して活動していた。


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