SAT
さっと
曖昧さ回避
- 仙台空港鉄道の通称。⇒仙台空港鉄道
発足の経緯
1972年に発生したミュンヘンオリンピックでのイスラエル選手団人質事件を受け、警察庁は全国の警察本部に対し、銃器等を用いた重大事件に対処できる特殊部隊の編成を行うとの通達を出した。その後1977年9月に発生したダッカ日航機ハイジャック事件(ダッカ事件)では、日本政府は実行犯の日本赤軍の要求に応じ、人質と引き換えに投獄している仲間の釈放と身代金の支払う「超法規的措置」を取り、国際社会から「テロに屈した」と非難された。
一方、ダッカ事件から約1か月後の10月に発生したルフトハンザ機ハイジャック事件では、旧西ドイツのGSG-9が機内に強行突入し犯人を制圧し、人質を救出した。これらの事件を受け警察庁はGSG-9を参考にした対ハイジャック部隊の編成を提唱し、西ドイツ政府に協力を依頼。その結果、GSG-9の全面協力を受けられることになり、警視庁と大阪府警から警察官数名が派遣された。そして1977年に、警察庁は警視庁と大阪府警に対ハイジャック部隊を設立し、それぞれの部隊名は警視庁が「特科中隊」、大阪府警は「零中隊」と呼ばれた。しかし、当時は部隊の存在は極秘裏とされていたため、部隊名は非公式で、設立から20年近く公にされなかった。世間にSATの存在が知られたのが1995年に発生した全日空857便ハイジャック事件で、警視庁のSAT(当時はSAPと呼ばれていた)が出動した。
配備先
SATの配備先は国家中枢を擁する警視庁の他、国際空港や重要港湾などを持つ道府県警に配備されている。
隊員
隊員は各機動隊から選抜された精鋭たちで、高度な運動能力と強靭な精神力が必要である。入隊すると自分がSAT隊員であることを一切口外してはならないと厳命される。それは家族に言うことも許されず、実際2007年に愛知県長久手町(現長久手市)で発生した立てこもり事件でSAT隊員が犯人に射殺された際には、死亡した隊員の家族は、隊員が殉職するまでSATであることを知らなかったと報じられている。