JR東海が名古屋駅から関西本線、伊勢鉄道、紀勢本線を経由して和歌山県の紀伊勝浦駅・新宮駅までを結ぶ特急列車。この記事では準急列車、夜行普通列車についても軽く解説する。特急南紀は定期列車として最後までキハ82系を使用していた列車でもある。
歴史
1965年3月1日名古屋-天王寺間を紀勢本線経由で結ぶ特急くろしおが誕生。これが現在の南紀の直系の先祖にあたる。
1978年10月2日、いわゆるゴーサントオのダイヤ改正で特急くろしおの運転系統が新宮駅で分割され、名古屋-新宮間を走る列車に南紀という愛称が付与される。
特急南紀は3往復が設定され、1985年には1往復が増発されるとともに、1本が紀伊勝浦→新宮間で普通列車として運転されるようになった。
国鉄が分割民営化されると特急南紀はJR東海の受け持ちとなり、1989年には最多の5往復が設定される。ただし利用者数がイマイチだったのか翌年には4往復に減便され、1往復が紀伊勝浦発着の快速みえとなる。
1992年3月14日、JR東海が開発した新型気動車キハ85系が投入され、所要時間が42分短縮され、5往復へ増便された。
2001年3月3日よりグリーン車の連結が通年から多客期のみに変更され、同時に全区間特急列車で運行されるようになった。
グリーン車の通年連結復活は2009年3月14日。ただし南紀用に製造されたパノラマグリーン車キロ85ではなく、ひだ用に製造された半室グリーン車のキロハ84が連結される。
使用車両
運転開始当初はキハ80系が使用されたが、1992年からはJR東海名古屋車両区所属のキハ85系が使用されている。
通常は4両編成で多客時には6両まで増結される。
準急南紀→急行南紀
昭和28年に天王寺-白浜口(現在の白浜駅)間を運行する準急列車として誕生。南紀という愛称が最初に付与された列車である。この準急南紀は昭和41年に急行に格上げされるも、昭和43年に急行「きのくに」へ愛称が統一されて消滅した。
夜行普通列車南紀
昭和49年、天王寺-名古屋間を運行する寝台車を連結する普通列車へマルスでの寝台券管理・発券の都合上、休眠していた南紀の愛称を付与した。この夜行普通列車は特急南紀の運転開始後、愛称を「はやたま」に改めている。はやたまの愛称は熊野速玉大社に由来する。