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落合博満の編集履歴

2016-06-30 23:17:22 バージョン

落合博満

おちあいひろみつ

元プロ野球選手。2004年から2011年まで中日ドラゴンズ監督。現同チームのゼネラルマネージャー

概要

秋田県出身で、高校時代から練習嫌いで野球部に7度入退部を繰り返し、大学も中退、一時プロボウラーを目指すが挫折し、社会人東芝府中を経て、1978年ロッテオリオンズ入り。


プロ入り後も後の「オレ流」と呼ばれる事になる、自分の流儀を貫きとおした。しかし、監督の稲尾和久の理解もあり、次第に試合で使われるようになり、4年目の1982年には三冠王を獲得。その後1985、1986年と3度三冠王を獲得するなど、日本を代表する打者となり、1986年オフに中日ドラゴンズに移籍、同時に日本プロ野球初の日本人年俸1億円プレーヤーともなった。


中日では打点王と本塁打王を二度ずつ獲得する、1993年オフには導入されたばかりのFAで巨人入りし、1996年オフに日本ハム入り、1998年に引退。


2004年にかつてFAで巨人入りした事で、その反発からないだろうと思われていた中日の監督に就任。1年目からリーグ優勝するなど、8年間ですべてAクラス入り、優勝4回、日本シリーズ出場5回、日本一1回という実績を挙げ、2011年退任。2013年のシーズン終了後にゼネラルマネージャーとして復帰。


評価

選手として1流、監督としても名監督であったのは間違いない(特に2011年は、打率、得点ともリーグ最下位、得失点差は僅か+9の史上最低でリーグ優勝)が、「オレ流」と言われる悪く言えば自分勝手、自己流を貫きとおし、マスコミにリップサービスをしない、「プロ野球選手の評価は年俸」を公言するなど、その実績ほどには、人気はなかったとされる。また、守り勝つ野球であるために、面白くないと言われることもあった。


なお、かのドアラがブレイクしたのも落合監督時代の話であり、星野仙一がその手のパフォ-マンスを嫌ったのとは対照的で、ゆるきゃらブームに1役買った事は間違いなく事実である。また息子の影響で、ガンプラ好きとなり、CLANNADのアニメを見ていたなど、イメージとそぐわない、どちらかと言えばヲタクな面も見せている。


発言

横浜ベイスターズ佐々木主浩の決め球であったフォークボールについて、「あれはフォークではなくカーブ」と発言。


「日本プロ野球での真のホームランバッターは誰?」と聞かれ、田淵幸一山本浩二の2人をあげた。さらに「王貞治さんはホームランバッターじゃないんですか?」と再び質問され、「俺も王さんもホームランバッターではないね」と自分と王貞治を比肩して回答した。


「野球は仕事」と認識しており、「俺は野球を見るのが嫌いだし、大リーグも見ないし、高校野球も見ない」という。

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