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関本賢太郎の編集履歴

2016-08-19 17:43:49 バージョン

関本賢太郎

せきもとけんたろう

阪神タイガースに所属した元プロ野球選手(内野手)。メイン画像の右。

概要

奈良県出身。本名は関本健太郎(読み同じ)。天理高から1996年ドラフト2位で阪神タイガースに入団。主な同期入団選手は濱中治今岡誠ら。


一軍デビューは2000年。その後2002年に71試合に出場してブレイクを果たす。さらに2004年には規定打席には到達しなかったものの打率.316を記録した。

背番号を44から3に変更した2005年には二塁手、一塁手、三塁手を務め、チームのリーグ優勝に貢献。2006年は今岡の不振から三塁のレギュラーを確保。自己最多9本塁打を放つ。

2007年は自身初の開幕スタメンを勝ち取るが前半戦は不振に苦しむ。それでも後半に7本塁打を放ち、守備では二塁手の連続守備機会無失策記録を更新した(804)。

2008年からは登録名を現在の関本「賢」太郎に変更。この年トレードで移籍した平野恵一が二塁手のレギュラーに定着したことで二塁手での起用は減ったが代わりに三塁手のレギュラーに定着。この年初めて規定打席に到達し、打率は.298をマークした。

2010年は内野のスタメンをクレイグ・ブラゼル、平野、新井貴浩鳥谷敬で固定されスタメン出場の機会を失ってしまう。結局代打要員と守備固めとして79試合に出場。2011年は平野をセンターに据える起用が増えたため再び二塁手での出場機会を得る。9月には新井に代わって4番にも配置された。2012年は開幕戦で代打本塁打を放ったが試合数、打席数を前年より大きく減らす結果となった。

2013年ごろから西岡剛の加入、上本博紀の台頭もあり、先発起用が減少。代打の切り札としてベテランらしい活躍を見せた。

2015年限りで現役引退を発表。甲子園球場でのシーズン最終戦で引退セレモニーが行われた。現役引退後は野球解説者。

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