概要
桐蔭学園、東海大を経て2001年ドラフト自由獲得枠でオリックス・ブルーウェーブに入団。
3年目の2004年に打撃好調でシーズン通してレギュラー起用。球団名が「バファローズ」となった2005年からは、本職の二塁に水口栄二がいたため外野手との併用になるもののファインプレーを連発するなど起用に応えた。
しかし2006年5月6日の千葉ロッテマリーンズ戦でファールフライを追ってフェンスに激突、選手生命をも左右しかねない大ケガを負ってしまう。翌2007年には復帰。
2007年オフに阿部健太とともに吉野誠・濱中治とのトレードで阪神タイガースに移籍。移籍初年度からセカンドのレギュラーをつかみ取り、赤星憲広とともに1・2番コンビを形成。リーグ最多の47犠打をマークし、カムバック賞を受賞した。
2012年オフに古巣オリックス・バファローズにFA移籍。2007年シーズン以来となるオリックス復帰となった。身体に限界を感じた2015年シーズンを持って現役引退。
2016年シーズンからはコーチとして阪神の2軍守備走塁コーチ、1軍の打撃コーチ、2軍内野守備走塁コーチ、2軍打撃コーチを歴任。
2022年には台湾に渡り、台湾のプロ野球リーグCPBLの中信兄弟で打撃・内野総括コーチを務め、2024年からは監督となっている。
プレースタイル・人物
- 身長は169cmと小柄。俊足巧打で、走攻守3拍子そろった好選手だった。ダイビングキャッチやヘッドスライディングなどのハッスルプレーが身上。
- ポジションは内野手・外野手両方をこなせるユーティリティープレイヤー。現役時代はセカンドやセンターを主に守っていた。
- オリックス時代、練習を見学していた小学生たちに「こんな小さな身体のボクを見て、頑張れば自分もプロ野球の選手になれるんじゃないか、と思ってくれているチビッコたちにひとこと言いたいと思います……そんなに甘かねぇぞ!」と言ったらしい。
- なにかとあごの長さをネタにされる。この人ほどではないが。