もしかして:おへんろ。
お遍路とは、四国にある寺院を巡る寺院巡礼。および、それを行う人に対する呼称。さらには、それら全てを指す総称である。あえて他地域の巡礼と区別する場合には強いて四国遍路と称する場合もある。
基本的には四国4県にある88の寺院を巡る「四国八十八箇所」の巡礼の事を指すが、四国内には他にも「四国別格二十霊場」や「四国三十三観音霊場」「四国三十六不動尊霊場」などの巡礼も存在するため、それらの巡礼者も遍路として扱われる事がある。
特に「四国別格二十霊場」は「四国八十八箇所」に加えると、参拝霊場数が煩悩の数(あるいは除夜の鐘と同じ)である「百八」になるため、双方を合算して巡る遍路巡礼者もそこそこ存在する。
そもそも遍路とは未開の地の道を表す「辺(遍)地の路」に由来する。古代の中央と市であった都(みやこ。早い話が京都・奈良)から海峡を隔て遠く離れた四国の地は、中央政権から見れば辺境の未開地であり、かつては政争に敗れた貴人の流刑地とされた時代もあった。代表的なところで言えば崇徳上皇あたりであろうか。
その辺地に生まれ後に全国に名を轟かせたのが、かの真言宗の開祖、弘法大師空海であった。若き日の空海は自身の修業のため四国の山野を巡り、また成長してのちも自らの節目に対峙する際には再び同様の修業(巡錫あるいは巡杖という)を行ったと言われる。四国遍路とは基本的に、その弘法大師の事跡を巡り再現することで、その後を追い空海と同様の真理を得んとする試みに基づく修業である。
のち江戸時代になると庶民間において現代的に言うところの「パワースポットを巡ってご利益を得る」目的の元、巡礼ブームが巻き起こった。四国遍路もそのひとつとしてムーブメントに乗って発展するようになった。
明治時代以降においては国家神道形成に伴う神仏分離・廃仏毀釈や戦時国体体制によって勢いを失う事もあったが、現代に至るまで、ある程度時代を映して変異しながらも、途絶することなく続いている。
永井龍雲の曲について
辛い人生を歩んで死んだ人をお遍路に例えた、永井龍雲の代表曲。
ベスト盤にも度々収録され、アレンジが異なるバージョンが存在する。
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