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谷沢直の編集履歴2018/03/08 15:10:10 版
編集内容:微細な修正

日本の漫画家。7月29日(生年非公開)生まれ。

公表されている自画像などを見ると、そうは見えないがプロフィール写真を見ればれっきとした女性である。

人物

主には『愛天使伝説ウェディングピーチ』の作画者として知られる。無論それだけってワケでもないが

活動次期・活動内容においてペンネームの読みが異なる場合があり、同じ文字で「たにざわ なお」「たにざわ のぶる」と読ませていた時期(どちらもデビュー直前後)がある。

また、海外のペーパーバックで執筆している時には「Nao Yazawa」のペンネームを用いている。

海外での活動が多いため、基本的に欧米方面の方が比較的知名度が高い漫画家。一応、Pixivユーザーでもある。

経歴など

1987年に『ゲンゴロウ参る!』で第14回藤子不二雄賞(小学館新人コミック大賞児童部門)における入選(いわゆる最優秀賞)を獲得してデビュー。

同賞同回の同期佳作受賞者に「藤子・F・不二雄最後の弟子」むぎわらしんたろうと「カービィの人(のむらしんぼの弟子)」ひかわ博一がいる。

なお、谷沢直自身は『Sweetらぶらぶ』で知られる井口ユミの弟子である。

藤子がらみで言えば『未来の想い出』の映画版に漫画原稿を寄稿・指導したため、漫画技術スタッフとして同映画のエンドロールに名前が出されている。

デビュー前よりコミティアの常連という同人作家でもある。同人サークル「会 -Party-」を率い「災害に巻き込まれた子どもたちによる生きるための苦闘・対立・派閥化・抗争」を、少年漫画的ではあれどもかなり「えげつなく」描いた一大巨編『真空地帯』を継続執筆。同作は1997年にティアズマガジン(コミティアの機関誌)で「プッシュ作品」に推され、2011年に過不足なく完全完結させた。のち『真空地帯』は『ウェディングピーチ』の影響からドイツアメリカで商業出版されている。(日本では商業出版はされていない)

藤子不二雄賞の入選受賞者である事から当初は『コロコロコミック』で少年漫画家として活動(筆名および自画像が男性的なのは、その名残である)していたが、師である井口の存在や女性作家である事から新しく立ち上げられた女児向け雑誌『ぴょんぴょん』へと、編集部・担当側の都合のために移籍するよう「説得」され少女漫画家に転向する事となった。

『ぴょんぴょん』では、当初東映不思議コメディーシリーズのうち「中華魔女シリーズ」(魔法少女ちゅうかなぱいぱい!魔法少女ちゅうかないぱねま!)の漫画化作品を受け持つが、のちにオリジナル作品(『いただき!パンサー』『あかりCHUがえり』など)の発表に移行する。

1992年に『ぴょんぴょん』が『ちゃお』に併合された事を受けて、そのまま『ちゃお』作家として活動を継続。その際に元少年漫画家としての経歴を買われ富田祐弘原作となる『愛天使伝説ウェディングピーチ』の作画を担当した。(バトルヒロイン作品なのでアクション描写や不思議コメディ的な方向性への理解が必須だった)

『ウェディングピーチ』への参加後は、同傾向を出す事で作風を安定させて2匹目のドジョウを狙おうとする担当編集(および『ちゃお』編集部)と、『ピーチ』時に一部で巻き起こった批判(バトルヒロインの項目を参照)から同傾向を出すよりも他ジャンルに挑戦して自身の作風の幅を広げたいとする谷沢とで、意見の対立が起こった。

結果、谷沢は小学館(と、批判を巻き起こしてしまった日本)に見切りをつけざるをえなくなり(同時に小学館で執筆した『ピーチ』以外の作品の権利をキチンと全て自らの元に引き上げている。『ピーチ』を引き上げられなかったのは原作付き作品かつ複数社がらみの企画作品であったため)『ピーチ』時に多大な評価をくれた海外の出版社と仕事をするようになった。それと同時に海外でのアニメ・マンガイベントに頻繁に呼ばれるようになる。

この事から海外イベントで漫画家志望者を相手に漫画作画のワークショップを行う事も多くなり欧米において「英語で漫画技術を教える」「日本漫画の技術を海外に広める」第一人者として活躍した。

現在は、その経歴を買われコミティア関係者から推される形で、マンガスクール中野の留学生向け講師として活動している。

主な作品

Pixivアカウント

Pixivアカウント(Nao)

関連タグ

ウェディングピーチ関連タグはそちらを参照。

小学館 ぴょんぴょん ちゃお

コミティア

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