そもそもOH-58とは?
1960年代の次期軽観測ヘリコプターの要求をアメリカ陸軍が出すと、ベル社はYOH-4Aでこれに応じたが、1965年にヒューズ社のOH-6が採用され選定に敗れてしまった。
しかしベル社はこれをモデル206ジェットレンジャーとして民間に売り出すと、7000機以上も生産され現在も販売され続ける軽ヘリコプターのヒット作となった。
そして、次期観測ヘリコプターの勝者であったOH-6の生産費用が急騰してしまい、アメリカ陸軍が再び新たな観測ヘリコプターを求めた事で、1968年にOH-58カイオワとして見事に採用を勝ち取り、雪辱を果たしたのである。
新たな「目」を得たOH-58D
カイオワは、ベトナム戦争でAH-1コブラ攻撃ヘリコプターの目として共に行動し活躍したが、戦争終結後コブラの後継機・AH-64アパッチが登場すると、カイオワは一気に陳腐化してしまった。
アパッチは夜間や悪天候でも威力を発揮できる高度なセンサーカメラを備えており、それまで目視に頼っていた観測ヘリコプターと「視力」の差が大きくなったのである。
そんなアパッチとも共に行動できるように、改良されたのがOH-58Dカイオワ・ウォリアである。
わかりやすい特徴は、メインローターの上に設置されたセンサーカメラ。
正式には主ローターマスト装着式照準器(MMS)と呼ばれるこれがどうしてローターの上についているのかというと、胴体を木や建物の陰に隠しながら潜望鏡のように使う事で目標を偵察する事ができるためである。これはアパッチにはできない芸当だった。
さらに、一部の機体には搭載量こそ少ないが武装が搭載可能になり、プライム・チャンスと呼ばれた。特にAIM-92スティンガー空対空ミサイルは、当時アメリカ陸軍機で装備できる機種がなく、ヘリコプター同士の空中戦にも対応できる唯一の機種となった。
よって、後に全機が武装可能なように改修され、アパッチのお供としてだけでなく、単独でも軽攻撃任務に投入できる多用途機となった。
迷走する後継機、そして退役へ
そんなカイオワ・ウォリアも、レーダーを装備したAH-64Dアパッチ・ロングボウが登場すると、再び「視力」でアパッチとの差が開いてしまった。
さらに、スティンガーミサイルもアパッチで使用可能になり、カイオワ・ウォリアの立ち位置がますます微妙なものになってしまった。
当初、後継機にはステルスヘリRAH-66になる予定であったが、開発費用がかさみ開発中止。
そのため、ARH-70アラパボが新たに開発された。カイオワの民間型たるジェットレンジャーの改良型・モデル407をベースにしてコスト削減を狙おうとしたが、こちらも開発費用がかさむという本末転倒な事態が起こり頓挫。
結果、カイオワをまだまだ使い続けなければならなくなってしまい、アップグレード型のOH-58Fが登場。
特徴的だったセンサーカメラが胴体の下に移されてしまったが、これは遮蔽物の陰に隠れるような低高度だと対空機銃やら対戦車兵器やらが飛んできて危険になったのでそれらが届かない高い高度から「見下ろして」偵察するためと思われる。
ちなみにこの改良案には、メインローターを二重反転にするというとんでもないアイデアもあったらしい。
その改良も空しく、アメリカ陸軍は遂にカイオワの退役を決定。2017年9月18日にラストフライトが行われ、アメリカの空から姿を消したのだった。
後継機が配備されないまま退役する事になったのは、センサーが発達したアパッチやUAVで偵察・観測が充分できる事になった事が大きい。
とはいえ、アメリカ陸軍は新たな観測ヘリの導入をあきらめたわけではないようで、複合ヘリコプターをベースにした新しい機体の開発を要求している。