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早川史哉の編集履歴

2019-01-13 01:49:44 バージョン

早川史哉

はやかわふみや

早川 史哉(はやかわ ふみや、1994年1月12日 - )は、アルビレックス新潟に所属する新潟県新潟市出身のプロサッカー選手である。ポジションはDF/MF

来歴

早川選手の出身は新潟県、地元アルビレックス新潟のユースチームに所属し、中学時代から世代別の日本代表として活躍、高校卒業後はそのままトップチームへの昇格が期待されたが筑波大学に進学、在学中に筑波大の筑波大学蹴球部のキャプテンに就任し、チームのトップリーグ昇格にも大きく貢献。

2016年のアルビ加入時にはその卓越したキャプテンシーからいずれはアルビレックスのキャプテン就任は間違いないと思われていた。

プロ入り後

早川選手は当初手薄だった右サイドバックでの起用が予想されたが、レギュラーメンバーであった舞行龍ジェームズ選手の故障のため170cmという低身長ながらセンターバックとして開幕から出場する。 数試合は無難にこなすもののJ1各チームにより対策され、徐々に穴が目立つようになる。しかしなぜだか練習中の動きもどんどん悪くなり、しかもベンチ入りすらしなくなる

無論ファンはアルビレックスはいきなり新人を起用するチームだと知っているためしばらくはベンチの外で勉強させるつもりだろう、と考えていた。あの日までは

病魔

体のだるさや練習中の息切れ、疲労感が一ヶ月ほど続いていた早川選手は2016年4月25日、リンパ節の腫れが認められ新潟市内の病院で精密検査と医師の診断の結果、急性白血病で緊急入院を余儀なくされる

このニュースは日本中のサッカーファンに衝撃を与え、アンダー世代代表やJリーグの各チームによる募金活動やチャリティーオークションといった彼への支援活動が行われる事になる、なおアルビレックス新潟はそのことへの感謝を各チームに白星を届けることで伝えている

お金

早川選手を蝕む白血病、本来であれば保険が適用されるのであるが、早川選手はスポ-ツ選手のため怪我のリスクが高く、また薬の制限などのおかげで、入れる保険が制限されている。

その為1日あたりの治療費は63000円とかなり高額になっているうえに最新の治療法には保険が効かないなんて話もチラホラと。

そのためチームは選手層がペラッペラなのに数人の選手をレンタルで放出し、給料まで削減という自殺行為に近い運営がなされしかも夏の補強ゼロ

よく2016年残留できたよなあ。

DAZN

ただこの問題は2017年に解決する可能性があり、イギリスの映像会社DAZNがJリーグの放映権を10年2100億円というとてつもない高値で購入、しかもそれまでJ1であれば5000万円の分配金が7倍の3.5億円に増額することも決定。貧乏だったアルビの世界観が一気に変わる事になる。

変わりすぎた結果、お金の使い方が分からず2017年降格しましたが。

現在、早川選手に対する支援の輪は日本各地のJリーグクラブに広がり、FC東京サポーターの皆さんによる応援断幕作成や、浦和レッズ槙野智章選手が主導によって作られた浦和レッズの選手たちによる励ましの動画、各地のクラブやアンダー代表による募金活動。

海を越えて本田圭佑選手、長谷部誠選手、酒井高徳選手のチャリティーオークションの参加、さらにはBリーグ新潟アルビレックスBBからは五十嵐圭選手も支援のためにチャリティーオークションに参加している。


早川選手のメッセージ


アルビレックス新潟サポーターの皆さん、ご支援をいただいたすべての皆様へ



状況経過の連絡が遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。僕は現在、急性白血病からの寛解を目指した抗がん剤の治療中です。治療期間中には副作用の影響で辛いことが多々あり、無気力になることもありますが、何とか元気に過ごすことができています。


白血病であることを公表して、3ヶ月が経過しています。その間Jリーグチームをはじめとする多くのサッカーチームからの支援、また各クラブチームサポーターの方々やサッカーに関わりの少ない方々からも、たくさんの手紙やメール、段幕、千羽鶴などをいただき、皆様からの温かい支援が白血病と闘っている自分にはとても大きな支え、チカラとなっています。本当にありがとうございます。


そしてアルビレックス新潟から復帰のサポートをしていただけること、チームメイトからの励ましにも感謝しています。公表後に新潟のサポーターの方々が試合の際に出してくれた28番のビッグフラッグや段幕、応援をテレビで見て涙が止まりませんでした。自分は決して一人で闘っているわけじゃないんだという思いと、何としても病気を治してまたサッカーがしたいという思いがわき起こってきました。


闘病中にいつも思っていることがあります。それはどんなに辛いことがあっても、常に前を向いて一日一日を過ごそうということです。辛い日があってもそれを乗り越えればきっといいことが待っていると信じています。アルビレックス新潟も残り5試合、決して楽な道のりではありません。僕はテレビでしか応援することができませんが、アルビレックス新潟と共に毎試合闘っています。

サポーターの皆さんも含めたアルビレックス新潟というチームの団結力、熱さを見せ絶対に勝ちましょう!!

We are ONE


アルビレックス新潟 早川史哉


栄光

2016年12月18日、埼玉県の浦和駒場スタジアムで行われたサッカー全日本大学選手権決勝において早川選手の母校である筑波大学日本体育大学に8-0で勝利し実に13年ぶりとなる大学日本一の座に輝く。

1部に復帰した年での優勝というとんでもない快進撃の裏には早川選手に勝利を届けるというチームを結束させる大きな目標があったのが大きい。共通の意識ほどチームを成長させるものはない。

契約凍結

2017年1月10日、この日アルビレックス新潟広報は早川選手との契約を本人がトレーニング可能になるまで現在履行中の契約を一旦凍結すると発表。

これは契約解除に比べこちらのほうが再登録しやすいためである。

また昨年の11月には骨髄移植を行っており、2017年4月現在早川選手の寛解に向けての治療は順調に進んでいる。


First step

2018年2月15日、この日アルビレックス広報より久しぶりに早川選手の現在の状態が発表された。

2017年6月に退院した早川選手は投薬治療や食事制限、行動制限を経てついにクラブハウスでのリハビリを開始、現在凍結している選手契約も本人や周りの人たちと経過観察をしつつ凍結解除に向けて協議をしていくとのこと。

もちろん白血病は油断できない病気であるため寛解まで未だ予断を許さない状況であるが早川選手が大きな一歩を踏み出したことは間違いない。


早川史哉選手からのメッセージ

アルビレックス新潟サポーターの皆さん、ご支援をいただいたすべての皆様へ


病気を公表してから、どんな時も励まし、支えてくださった皆様に感謝申し上げます。

闘病生活をスタートし1年半が過ぎました。辛い時期や体の状態が思い描いたようにいかず、沈んでしまいそうな時期も、たくさんのサポートのおかげで前を向いて進むことができました。今思うと自分一人だけでこのような状況に耐えることは絶対にできませんでした。


これから少しずつではありますが、復帰に向けトレーニングを行えるようになりました。今は1年半以上遠ざかっていたボールを蹴ることや、体を動かすことが楽しくて仕方がありません。治療をしていたこれまでより、復帰に向け活動するこれからの方が、いくつもの困難な壁に直面することがあるかもしれません。しかし、どんな時もこのような気持ちや病気を公表した時の決意を忘れずに活動していけたらと思います。


最後に「ALL FOR NIIGATA すべてを新潟のために」、このクラブスローガンにならい、新潟のために自分ができることを考え行動していきます。また、今このような立場だからこそ、できることにも積極的に取り組んでいきたいと思っています。


アルビレックス新潟 早川史哉


鮮やかな緑の舞台で

2018年11月12日。この日ついに早川選手の契約凍結解除がクラブ広報から発表される。

早川選手は造血幹細胞移植の後リハビリを地道に行い、徐々に負荷を高めていき、3月にはアルビレックス新潟ユースの活動に参加、8月以降は、トップチームに合流し、10月には対外チームとの練習試合にも出場。現在は周囲と比較してもそん色ないほどの回復ぶりとなったため凍結解除に至った。

2019年1月5日にはシーズン契約更新も行われ復帰は秒読み段階である。

また「早川史哉選手支援基金」には、総額27,239,305円の支援が集まった。


早川史哉選手コメント

いつも温かいご声援をいただきまして、誠にありがとうございます。このたび契約を再開していただけることになりました。これからも直面するだろう課題に目を背けることなく、強い覚悟を持って臨んでいきたいと思います。


早いもので造血幹細胞移植から2年という年月が過ぎようとしています。思い返せば本当にいろいろなことがありました。退院後にリハビリをスタートできたこと、ピッチでボールを蹴れるようになったことや、アカデミーの練習に参加できるようになったこと。また、本間勲さんの引退試合では、ビッグスワンのピッチに立てたということだけでなく、勲さんと一緒にプレーできました。そして、トップチームの練習に参加できるようになったことなど、僕にとってかけがえのない時間でした。サッカー面に限らず、小児病棟訪問や学校訪問、病院内ビューイングなどの活動を通じて、多くの経験を積み、たくさんの出会いもありました。


契約再開までの出来事は、僕一人では決して成し遂げることはできませんでした。全てアルビレックス新潟というクラブの理解やサポートがあってこそ、実現できているということです。改めてクラブに感謝申し上げます。


そして、常に励まし、支えてくださったアルビレックス新潟サポーターの皆さんをはじめ、ご支援いただきました全ての皆様に、深く御礼申し上げます。


これからも自分が大事にしている「誠実」「全力前進」という言葉を胸に、一日一日を大切に過ごしていきたいと思います。

応援歌

筑波大学

ラーララララララーラー

ラーララララララー

早川 早川

早川史哉 アーレアレ


アルビレックス新潟

オー 史哉 勝利を掴め

俺らも 共に戦おう

※原曲はHi-STANDARDSTAY GOLD

現在スクールコーチを務める内田潤氏の現役時代の応援歌に使用された。

関連リンク

チームホームページ

早川選手オフィシャルブログ:ただひたむきに

関連タグ

サッカー アルビレックス新潟 筑波大学 白血病

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