概要
御名(諱):秀仁
生没:寛喜3年(1231)2月12日~仁治3年(1242)1月9日
在位:貞永元年(1232)10月4日~仁治3年(1242)1月9日
治世
わずか2歳で即位。即位を押しきったのは、九条道家で幕府や近衛家実らの反対を政治力で押さえ込み、長男教実を摂政にした。道家は鎌倉幕府第4代将軍九条頼経の父であり、四条天皇の外祖父という立場でもあり、孫の彦子を四条天皇の女御とさせた。
不慮の事故によりわずか12歳で崩御。当然、皇子などもいなかったため後継者をめぐる問題が発生した。
死因
ネット上でたびたび話題になるが、四条天皇は、まだ12歳という子供でもあり、イタズラ心からある日女官たちを驚かせようと宮殿の床に滑る石を撒いた。しかし、運悪く自分がその滑る石に引っ掛かり転倒し崩御された。
関連タグ
崩御したのが幼い年であった天皇
安徳天皇(8歳)、六条天皇(13歳)、仲恭天皇(17歳)、近衛天皇(17歳)
皇位