いくつか実在もしており、三越の創業時の屋号でもあるが、どちらかと言うと時代劇で出てくるイメージがあったりする。
それも何故か、「山吹色の菓子でございます」「越後屋、そちもワルよのう」「いえいえ、お代官様ほどでは…」的な代名詞として使われることもある。
一説によると、前述の三越の前身の越後屋が江戸時代に有名な大商店(呉服屋)だったため「越後屋」と看板に大書された立派な時代劇セットが作られたが、初期の時代劇ではそのセットが流用されまくった結果、豪商役は何故か越後屋→ストーリーの都合上悪役…ということらしい。
実在の越後屋関係者や新潟県人にとっては迷惑な話ではある。さらに、堀井憲一郎によれば、「時代劇で越後屋と言う悪徳商人が出たことはない」そうである。一説にはオール阪神・巨人などが漫才で悪徳商人の屋号を越後屋としたために間違った固定観念が広まったと言われている。
ただし、一応有名な「越後のちりめん問屋」は善玉なので、バランスは取れているのかもしれない(?)。
一方でこの言葉が膾炙した当時、三越の社長であった岡田茂は独裁的な権威をふるって会社を私物化させたり、ヤマト運輸に対して下請けいじめ同然の暴挙を働くなどしたため、社会的な非難を浴びていた(いわゆる「三越事件」)ことや、そのころの東映の社長が同姓同名だったため、報復の為にこの騒動を題材にした映画製作を命じた逸話がある程、いわれのない風評被害に東映社長が強い怒りを抱いていた事も理由としてあげられる。(1982年に岡田茂が三越の社長職を解任された時、彼が叫んだ「なぜだ! 」はこの年の流行語になっている。)
しかし時代劇の減少とともにあまり見られなくなった…。
三越もしたたかなもので、「越後屋、そちも春よのう」というキャッチコピーを春商戦で使ったりしている。これで代官山に三越の店がありゃ完璧だったが(日本橋の三越に「代官山」を称した店は入っている)。