醍醐冬基
だいごふゆもと
醍醐冬基とは江戸時代前期の公卿、清華家の一つ醍醐家の祖。
プロフィール
生涯
延宝2年(1674年)に正五位下に叙任。延宝7年(1679年)に従三位左近衛中将となり公卿に列する。同年、従弟にあたる霊元天皇から「醍醐」の家名を下賜され、一条家から分家した。醍醐家は清華家の家格が認められ、江戸幕府の将軍徳川家綱からは300石の知行地と本院(後水尾法皇)附の旗本岡部正綱の屋敷が与えられた。
その後、権中納言・踏歌節会外弁・左衛門督・右兵衛督を経て、天和3年(1683年)に立太子した朝仁親王(東山天皇)の春宮権大夫となった。貞享元年(1684年)には権大納言兼務。貞享4年(1687年)、皇太子朝仁親王の即位に伴い春宮権大夫を辞する。元禄7年(1694年)には正二位へと昇る。元禄10年(1697年)に権大納言辞職。同年に薨去、享年50。