概要
京阪電気鉄道の子会社である京阪レジャーサービスが運営する遊園地。「ひらパー」の愛称で関西で絶大な知名度を持つ。毎年120万人前後の集客をコンスタントに出していて、あのUSJに次いで、大阪府で第2位を誇る。
また、現在日本国内で営業中の遊園地の中で最古の遊園地でもある。1924年に開園した。
1910年に京阪電車開通に合わせ、香里駅(現在の香里園駅)近く、北河内郡友呂岐村大字郡(こおり)に12万坪で「香里遊園地」を開園、菊人形展を行った。その後周辺を住宅地に開発するために枚方駅(現在の枚方公園駅)に約1万平方メートルの土地を確保し、1912年に第3回菊人形展が開催、「ひらかたパーク」開業のきっかけを作った。
1919年から1922年まで京都府宇治市で開催された菊人形展は、1923年以降枚方での開催が定着。1926年に「枚方遊園組合」を設立。本館、余興館、ボート池、ブランコなどが設置。
満州事変から「国威発揚」の傾向が強まり、太平洋戦争中の1943年には大阪国防館が遊園地施設を利用し始める。10月には京阪電鉄が京阪神急行電鉄の一部となり、1944年には遊園地施設が軍の農地に利用された。
終戦後も枚方で遊園地を営業できず、京阪神急行電鉄は千里山遊園に菊の苗を移植、1946年から1948年までここで菊人形展を開催した。1949年2月に京阪神急行電鉄は枚方での菊人形展開催を見据えて枚方市と契約、枚方市が整備した市立公園に文化会館を建設、10月に菊人形展が開催された。12月に京阪神急行電鉄から分離、京阪電気鉄道となる。
1952年2月に税制改定が行われたために枚方市は京阪に公園の利用を禁止するが、11月に京阪が公園用地を遊園地に変えることで決着し、現在のひらかたパークとなった。
秋に開催されていた「ひらかた大菊人形」は、1964年以降は主にNHK大河ドラマで放送される作品を題材にしていたが、職人の高齢化、後継者不足などから、2005年限りで大規模なものが終了、2006年に小規模な回顧展が開催、2010年には京阪電鉄創業100周年記念して「大菊人形」が限定復活した。
関連項目
ヒーローショー(その界隈では、原作を踏まえた脚本やファンのツボを押さえた演出はトップレベルとして知られている)
寝屋川車庫(乗り物の一部は当車庫で点検・整備が行われる)
みさき公園(鉄道会社経営の遊園地)