他の用例はクリミアの項目を参照。
地理
幅5~8kmのペレコープ地峡によってウクライナ南部と繋がる、黒海に突き出した半島である。
半島南西部のセヴァストポリ市はロシア黒海艦隊の拠点。また、同じく半島にある保養都市ヤルタは、「ヤルタ会談」の舞台として知るものが多いだろう。
歴史
気候温暖で石器時代から人類が暮らしていた。
スキタイ人やギリシア人も当地を支配したことがある。主にギリシア人は沿岸部に植民都市を築いた。
以後もローマ帝国や各種遊牧民族・ジェノバなどが支配し、15世紀にはモンゴル帝国の分派・クリミアハン国が建国。内紛を経てオスマン帝国の属国となった。
海岸線のかなりの部分が冬になると凍結するロシアにとって、温暖なクリミア半島の確保は悲願であり、通商・軍事の生命線であった。1683年以降、ロシアは何度もこの半島を目的に軍事行動を行っている。
ロシア帝国とオスマン帝国が何度か戦争した末に1783年ロシア帝国が併合し、以後はロシア帝国領として、軍港・貿易港や保養地として栄えた。
また、クリミア戦争の戦場ともなった。
1917年のロシア革命後、ソビエト連邦領となる。当初はロシア・ソビエト連邦社会主義共和国であった。
第二次世界大戦でも戦場となったが末期のソ連軍による解放直後、クリミア・タタール人が中央アジアに追放されるなどの事件が起きた。
1955年、ソビエト連邦内でロシア・ソビエト連邦社会主義共和国からウクライナ・ソビエト社会主義共和国へ移管され、1991年のソ連崩壊に際してはそのまま独立したウクライナに継承された。
一時対立はあったが1992年にクリミア自治共和国が設置され、小康を保っていた。
2014年2月、ウクライナでの政変をきっかけに帰属問題が再燃。実質上ロシア側の支配下におかれ、3月にはロシアへの編入条約を締結した。なお、ロシアに編入された理由は、先述の軍港についての軍事利権が推測されるものの、同地域はウクライナ語話者よりもロシア語話者の居住が多かったという、ロシア側が口実に使える理由はあった。
ウクライナや、日本も含む主要先進国は承認していない。
余談
後に政治家の鳩山由紀夫がクリミアを訪問し、クリミア半島は伊豆半島に似ていると報告した。
関連タグ
ナタリア・ポクロンスカヤ:2014年3月にクリミア検事総長に就任した女性。