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近衛家熙の編集履歴

2020-02-05 07:55:39 バージョン

近衛家熙

このえいえひろ

近衛家熙とは江戸時代前期から中期の公家

概要

関白太政大臣近衛基熙の長男、母は常子内親王後水尾天皇の皇女)

官位は従一位、摂政関白太政大臣


生没年

寛文7年6月4日(1667年7月24日)-元文元年10月3日(1736年11月5日


経歴

延宝元年(1673年)に元服。延宝4年(1676年)権中納言に就任。翌年に権大納言。貞享3年(1686年)に内大臣に就任した。元禄6年(1693年)右大臣。元禄17年(1704年)左大臣。宝永4年(1707年)から宝永6年(1709年)まで関白に就任した。宝永6年(1709年)から正徳2年(1712年)まで摂政。宝永7年(1710年)太政大臣に就任し翌年に辞任する。元文元年(1736年)に死去。


人物

家熙は主に有職故実や和歌茶道などに優れておりまた博学については山科道安の日記に記されている。


系譜

妻は霊元天皇の皇女、憲子内親王、他に町尻量子がいる。

男子:近衛家久

男子:鷹司房熙

男子:鷹司尚輔

男子:宝演

男子:寛深

女子:徳大寺公全

女子:近衛尚子中御門天皇女御)

女子:徳川継友室

女子:徳川家宣の養女

女子:光乗室


関連項目

公家 近衛家 摂政 関白 太政大臣

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