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センシティブな作品

ヤングオイスターズ

あわれなかきたち

ヤングオイスター (ズ)とは、「ふしぎの国のアリス」にて登場したキャラクターの一団である。ディズニー史に残る、屈指の悲惨な最期を遂げた事で有名。

※一部猟奇的な表現に注意。また、個人差があるがトラウマを発症したり再発しかねないので、この先の閲覧は、怖いもの見たさがあっても自己判断と自己責任でお願いしたい。

概要

「準備は良いかな牡蠣くん達よ。さてと…いただくとするか。」

「いただく!?」

ヤングオイスター(ズ)とは、「不思議の国のアリス」にて、アリスを諫めるために紹介された小話の一つである「セイウチと大工 (Walrus and Carpenter)」に登場する牡蠣の子供(たち)である。「セイウチと大工」は教訓めいた展開になっており、親や年上の忠告を聞かなかったり油断したばかりに破滅することになる牡蠣たちが描かれている。

「不思議の国のアリス」は、アニメ・実写・サイレントムービーの短編・長編問わず、膨大な数の映像作品が存在する。仕方ないことだが、この「セイウチと大工」は表現に限界があるのか、古い時代の実写ではお察しに思える出来もある(表現上の規制も関係しているので、一概に批評できない)。

ここで紹介するのは、ディズニー制作版「ふしぎの国のアリス」と1933年に作られた実写映画に挟まれたアニメシーンである。1999年の実写版にも一応触れておく。

名称

「Young Oysters」や「Curious Oysters」などと表現される。日本語では、「ベイビーオイスターズ」や「オイスター坊や」、「リトルオイスター」などとも。「ヤングオイスター」という呼称は、国内では主にディズニー版の「不思議の国のアリス」で見られた子牡蠣達の名前に使われ紹介された。この呼称が日本で一気に認知されたのは、ツムツムにて彼らが登場したからである。とくにツムツム界隈では「ヤンオイ」という略称もある。

特徴

原作などでは、リアルな牡蠣として描かれるが、いずれにしろ「足がないが足がある」状態で描かれ、原作の描写に準拠するなら、出かける際には「正装とシューズ」を持ち「顔を洗う」または「顔にローションを塗る」など教育が行き届いている。1999年の実写版では、牡蠣の貝殻に、目を模したフジツボが2つ付いている。また、年上の牡蠣が誘ってきたセイウチに反撃していた。

(これはかなり可愛く印象付けてあるイラスト)

ディズニー版では、レイマンを彷彿とさせる姿をしており、キャディーのハットまたは赤ちゃん用の首巻きにも見える殻と、顔(というか全身)の下はピンクのパジャマとシューズが見れるが、実際の体は見えない。デザイン稿のひとつはこちら。商品によっては、上半身が裸だが確認できる。殻はベッドになっており、毛布を羽織っている。殻は、往年のディズニーの女性の後ろ髪に似ていなくもない。

子牡蠣ながら、それなりに肥えて肉厚&牡蠣汁たっぷりな部類に入るらしい。なお、けっこう老け顔で、ほうれい線や魚のような口、目皺がほとんど常にあるほか、表情によっては顔に皺が出る(一部媒体ではおぞましいほど皺だらけである)。輪郭はひょうたん型のように下側の方が幅がある。

ディズニー版の性別は、♀っぽいが厳密には不明(ツムツムでも、どちらでも取れる仕様になっている)。声に関しては後述。

ちなみに母親の鼻が真珠になっている。原作では、肥えていたのと普段動かない水棲性なためか、浜を1マイル歩いたら疲れていたが、ディズニー版ではかなり軽快に踊り跳ねながら歩いている。なお、シーン毎にだんだんと警戒心や不安、あるとすれば罪悪感が薄れていく様子が見られる。

  • 実は、このデザインにもあるフラグが隠されている(下記参照)。

なお、牡蠣の総数は不明だが、原作では生き延びた年長の牡蠣達もいた一方、1933年度版(親牡蠣+12匹)とディズニー版(親牡蠣+24匹以上?)では、親牡蠣のみを残して他はみな冒険に…ではなく、自分たちに目を向けて接近してきた捕食者たちの欲求を充たすために、セイウチの空っぽの胃袋への死出の旅に出向くこととなる。

顛末

セイウチは、ディズニー版では牙がないため,肥えたトドやオットセイにも見えるが、口髭がセイウチの牙に見える形状である。)

ある年の3月、夜のはずなのに太陽の気まぐれで明るく、月が業を煮やしていたあるおかしな日、殺伐とした浜辺を、(単に砂が多く目に入るという理由だけで)悲嘆に暮れ泣いていた大工とセイウチが歩いていました。

しかし幸運なことに、セイウチと大工は牡蠣共を発見しました。更に幸運なことに、この牡蠣たちの大半または一匹を除いてほぼ全員は、本当は未熟で引っ込み思案、臆病なくせに怖いもの知らず、何より好奇心にあふれていました。親(または年上の兄弟/姉妹)の忠告と、自分たちの種族が獲物としてよく狙われていることも忘れるほどに。

セイウチと大工に運悪く発見された後、好奇心を唆され、とある笛吹き男の報復に使われた子供たちや、ピノキオでロバにされて売られて行った子供たちを彷彿とさせる恰好で丘に誘い出された。そして1マイルほど行った浜辺で悪夢が展開される。ディズニー版では、大工が6秒でレストラン(という名の墓場)を瓦礫から作り出し、牡蠣達を収容する。そして太陽と月は別にして、誰も見ていない小屋(一部俗称「牡蠣小屋」)の屋内で、粛々と弱肉強食の掟に則った行為が繰り広げられた。その光景は、もはや「事件」ではなくて、世に在り来たりな「事象」でしかない。

なお、ディズニー版ではセイウチが大工をも騙して彼に前菜を作らせている間に牡蠣たちを独り占めしてしまい、怒った大工がセイウチを追い回すというオチだが、原作では大工も牡蠣たちを屠っており、あくまで大工の取り分が少なかったが食えるだけ食っていたので、この話を聞かされたアリスたちが「セイウチと大工のどちらが悪か」という話に花が咲いた。

  • 方々で言われている事だが、アリスは「なぜ牡蠣達は喰われなければならなかったのか?」という疑問を抱く事なく、牡蠣達の死ではなくて「どちらがより好かない奴か」に興味を示すというジレンマが発生している所にもミソがある。つまり、アリスの内包する危うさがここにも表れている。

母牡蠣が、セイウチが子牡蠣らを誘う際にウィンクしたのは、一瞬でセイウチの魂胆を見抜いたか、以前に同じ手を見てきた事を示唆させる。その際に、誰が巻き込まれたか、誰か喰われたのか、同じセイウチだったのか、など考えられる。別のセイウチだったなら、歌って誘い出す方法がある程度認知されているのかもしれない。同じセイウチなら、よっぽど閃きとウィットに富んでいるのか、または手順の良さも加えて、かなりヤりなれていると思しい。

原作では、セイウチが話し掛けていたのは4匹だけだが、とくに数の上限を設定していなかったところ、見事に大漁となったのである。つまり、どんな言い訳も通用しない、牡蠣達の自業自得である。

牡蠣達は全員喰い殺されたのだが、セイウチがより肥えた牡蠣達を、大工がそれ以外を、というようにセイウチと大工の力関係が示唆されている(単に、身体の大きさが違うセイウチと大工が、それぞれがなるべく満足できるように配慮したのかもしれない)。

「被食」とは、牡蠣達にとって日頃から最も怖れてきた事であり、それを回避するために一生を費やすようなものである。そして今回、自分たちにとって、その「一番恐ろしくておぞましくて嫌で起きてほしくなくて避けたい事」が、想定外なタイミングと形でやってきて、結局は自業自得で自ら死と地獄に飛び込む羽目になった。親などの忠告を裏切り騙された時点で、牡蛎共の存在意義は、「食品」であるという以外に一切消え失せた(元々そうなる運命とも言えるが)。

なお、死した牡蠣、特に2番目に喰われたかあの世に旅立った牡蠣が嘆き悲しみなどを唄う例があり、これは1999年度版でも少し触れられたが、食事にアクセントとして牡蠣を付けるのが好きなおいぼれセイウチが、牡蠣共の命を「子供がジャムを舐めるよりも強欲に」消費して、その涙が全て嘘だと死んだ自分達は見抜いている、いつか腹の上に足跡をつけてやるぞ、という恨み節を付けている。なお、「ハウス・オブ・マウス」の第51話「House of Genius」ではこのシーンを再現している(ただし登場時間は2秒足らずで、相手はなぜかドナルドだが)。

教訓

子供だけでなく、保護者や大人にも通じるメッセージが込められている。

  • 「知らない人には付いていくな」
  • 「世界が優しさと思いやりだけで出来ていると思うな」
  • 「親切にするのが常識の人もいればその逆も本当にいる」
  • 「過度な好奇心は身を滅ぼす」
  • 「怖いもの見たさは、時に本当に恐い状況を誘発する事がある」
  • 「自分に非がなくても、自分が普通通りに注意していても、自分の仲間や他者の落ち度で捲き込まれる事は珍しくない」
  • 「逆に、自分の楽観で他人や家族を絶望に陥れてしまう事もある」
  • 「危機管理は普通平均的では足りない」
  • 「本当の危機は、自分の想像を越える形とタイミングでやって来る」
  • 「最も恐れている事は、逃げ場を奪ってやってくることがある」
  • 「周囲から、自分がどのように見なされているのかを常々忘れてはいけない」
  • 「憶えているだけでもダメなので、安全で気を抜ける時こそ危機管理と対策をするのが大事である」
  • 「何となく大丈夫という楽観も危険である」
  • 「一時の欲求よりも大事なことがある事をしっかりと身に染みさせろ」
  • 「(親や年長者が真っ当なら)彼らの言うことを聞け、また、そう思われる大人であれ」
  • 「教育は、してもし足りない筈なのに、いざという時には全然してこなかった事に気づく」
  • 「気づいた時にはもう遅い」
  • 「いくら後悔しても、自ら招いた運命からは逃れられない」
  • 「破滅はひょんなことから一瞬で訪れる」
  • 「九死に一生などという甘い奇跡を期待しても、起こらないものは起こらない」
  • 「自分の身を守るのは自分」
  • 「どんな理由があろうと、残酷に判断すれば全て自業自得」
  • 「(女子や幼い男児に限らず)世の中を甘く見てると喰われる

事が起きてからいくら努めて学んでも遅い、自分がそういう立場になったら悔やんでも悔やみきれない事になるので気を付けて欲しい、という作者の想いや願いが込められているのかもしれない。

なお、当のアリス本人にはあまり響かなかったようである(これも、一般的な人の姿であるという警鐘なのだが)。

その他

  • ディズニー版は単エピソードで放映された事もある。また、他のディズニー作品でもあるが、言語ごとにBGMのトーンが異なる場合がある。
  • 有名な話なので、銅像などが建てられた場所も一ヶ所ではない。
  • ビールや時計などの広告や、牡蠣料理店の名前、ネックレスの題材などに使われる事もある。
  • 数多の音楽集団や映画などでもネタに使われる。
  • アリスという名前の著者が料理本を出す際にも、ヤングオイスターズを思わせる表紙にしたりするなどもある。
  • どういうわけだか、アリスとノースリーブの牡蛎共が誰かを糾弾するような絵が出された事があるが、もちろんそんな場面は全く存在しなく、発生する可能性も全くないので、牡蛎共が喰われ苦しみ恐怖や狂乱などに飲まれ果てて命ごと消費されていった運命は変わらない。こちらの絵の牡蛎共は、元々のアリスとの対比が不明なので何とも言えないが、多少は映画版より大きく、原作で喰われずに済んだ年上の牡蛎達…とも考えられなくもないが…。もちろん、この後にちゃんと問題なく全員喰われた可能性もなくはない。顔は、眉毛が太くていつもの通りの醜悪さである。
  • この小話は、古今東西関係なく多くの読者や視聴者に強い衝撃を与えてきた。また、牡蠣の末路を想像し考察する人も少なくなかった。未熟で愚かだった牡蠣たちかもしれないが、自然界の掟とはいえ、一度の誤判断で生涯を終えるのは酷な気がしなくもない。感受性が豊かな人には安定したトラウマ必須案件であり、これが原因で牡蠣が食べられなくなった人もいる(まあ、牡蠣毒に当たる可能性がほぼなくなるので悪いこととは言い切れないが)。
  • 子供の時から日常的に牡蠣などを食べていた人は平気だったとか。
  • 単なる犯罪への教訓のほか、冷戦、人類性善説への警鐘、資本主義と格差、政治家や支配者層の詭弁とポピュリズムに踊らされる民衆、宗教問題、落ちぶれた貴族層と労働者などを皮肉ったものともとれる。セイウチの手袋が破れてるのもポイント。ディズニー版の最後の追いかけっこは革命にも取れる。
  • 「Curious Oysters」つまり「好奇心旺盛な牡蠣たち」という名称も、「好奇心に殺された牡蠣たち」というパンチの利いた意味を含んでいる。「好奇心猫を殺す」と似たようなニュアンスである。
  • あろうことか関連商品ではセイウチとオイスターズがセットになっていたりなど、かなり辛みの効いたものとなっている。
  • だが、最も不気味な商品の一つは、ドアノブの口に牡蠣共が収まっているマシュマロケースである。
  • ヤングオイスターズをネタにした画像などでは、「可愛らしくて擬人化された悲劇 or 運命」を皮肉るものもある。
  • 意外だが、ディズニー版の大工はけっこう人気があり、一番好きという人もいる。理由は不明だが、セイウチがヴィラン&大工がヒーローにカテゴライズされている場合も(セイウチを追跡したから?)。
  • アリスインナイトメアシリーズでも、牡蠣達が踊り子になっていてより人型に近い、セイウチと大工のキャラクターが凄まじいなど、かなりおどろおどろしい演出になっている。しかも、劇として呼び出した魚の観客も、「死」であるセイウチが同様に喰らい尽くす。牡蛎達は、潰されたりしたメンバーもいるが、被食以外の死因があるのかは不明。「絶対の平等」である死を文字通り被食生物全員にもたらしたが、その直後にセイウチと大工も死ぬ。「平等」に。
  • ちなみに、上記の通りツムツムで知名度を一気に上げたが、ここでは無念を晴らすかのごとく強キャラまたはウザキャラとなっている。その強さは美女と野獣の野獣よりも野獣と形容されることがあるほど。ただし、後に下方修正されたらしい。
  • ディズニー版で、死出の旅に向かう牡蠣共を見送る魚たちは、ピノキオが魔鯨モンストロに向かう際に見ている魚たちと極めてそっくりらしい。
  • ハウス・オブ・マウスでもモブで出たことがある(「The Mouse and the Oyster」という文学作品があるが、全く関係ない)。
  • バイナルメーション版もある。
  • テレビアニメ版では、セイウチと大工は疑いをかけられるが本当の意味でのヴィランではなく、牡蠣たちも誰も死なない。
  • インターネットで散見される、「ディズニー史上最も陰惨な死/子供には刺激が強すぎる展開/驚くほど不適切な叙情詩と音楽場違いで不適切すぎる音楽」などのアンケートでは上位に食い込んでいる。それどころか、「ディズニー史上、最も子供の精神衛生上よろしくない8つの死」では見事に一位に輝いた。また、セイウチと大工は「ディズニー史上最も質の悪く狂ったヴィラン」にノミネートされたこともあり、TVシリーズなどで姿を見せることも(例え集的な場面でも、当然牡蛎共はいない)。最も気味の悪い曲や場面とされる場合も。
  • 確認が取れていないが、ディレクターズカット版では、セイウチが牡蠣らを食べる直前に散々に性的暴力を奮うという噂があるらしい…。
  • 海外では、TV放送時にこのシーンをカットしたり、親御が後で録画テープから削除したりなどもあるとか。
  • 最近では、セイウチ共への天誅としてジュディ・ホップスとZPDの面々に、セイウチと大工を未成年者誘拐罪、幼児虐待罪、殺人罪(幼児虐殺罪)などの罪状で逮捕させる創作も見られる。
  • ジョニー・デップ出演のアリスシリーズなのか別件のショートフィルムかは不明だが、2017年に公開される最新作で、ついにこのシーンが描かれる可能性が出てきた。ただし、2016年公開の新作で、「セイウチと大工」を省いたことを残念がる声が挙がってきているとか。
  • 東京ディズニーシーには、ほとんど牡蛎共のグッズはないらしい。

なお、犠牲になった牡蠣達を可哀想に思う声もあれば、見た者のSっ気を開花させてしまうこともある。これには、上記の通り、牡蠣らのデザインにも一つの理由がある。

  • かわいいという意見が大多数の一方、実は「不気味」、「皆同じ姿で怖い」、「微グロ」、「気持ち悪い」、「いじめたくなる」、「潰したくなる」、「親の忠告を無駄にして親より先に逝くとは何たる糞牡蛎だ」、「見ていてイライラする」、「喰われるのが待ち遠しい」、という声も少なくない。それどころか、「(牡蠣達が)あの様になるからこの話が好き」、「物足りない」、「もっと丹念に描いてほしい」という意見が目立つ。特に、奇形っぽい輪郭と皺っぽい顔、光彩がなく、まるで穴が開いたようで口と質感がそっくりな目が不気味とされる(ディズニーにおける、ゴーストやダンボの悪夢のように、「そういう存在」や「決してこちら側でない存在」にあてはまるキャラクターの見た目と本質の特徴なのである)。人によっては、話自体ではなくて牡蠣共そのものがトラウマという人もいる。
    • 実は、この「目」も、感情移入ができる母牡蠣の目とは異なっていて、あえて生理的に不気味なデザインにしてあり、感情移入がしにくい様に、喰われるのが楽しみに感じる様に、というディズニー側の配慮も推測できる。比較的似た姿のピグレットポニョの妹達には感じない何かを抱かせる独特のデザインである。なお、コンマ単位では地獄の餓鬼や老人、浮世絵みたいな表情をしている感がある。
    • また、ヤングオイスターズが一瞬だけ普通に近い目をしていたが、次に殻を開いた際にはオイスターズの目に戻っていたので、今となっては、あの瞬間が生死を分ける最期のチャンスであり、それを示したサインだったのかもしれない(生き残った母牡蠣の目は常時普通の目であり、それに近い目をしていた最期の時だった)。
    • 日本語版の牡蠣共の声は「おばさん臭い」、英語版は中の人が男性で「よくわからない」と言われる事があるが、他の言語版よりも「不気味」で感情移入がしにくい声調である(狙った演出である)。
    • 持って生まれた顔そのものが死相という、つまり生きる事を許されず、死ぬために生まれてきた(デザインされた)、食べ物としてそれ以上もそれ以下の価値もない虚無に溢れた存在である。
    • 皮肉なことに、彼らの顔が、もっとも年齢に見合った、皺から解放されたのは断末魔の叫びを挙げているその時である。彼らオイスターズには、何かのカルマがあったのだろうか。場面が進む、つまり死の時が近づくにつれてイキイキ(逝き逝き)としているのも合致する。

動画

(ディズニー版のセイウチの動きは、実演されたものを模写して作られた)

ネタ動画の一つ

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