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太田房江の編集履歴

2020-03-27 23:43:59 バージョン

太田房江

にほんはつのじょせいちじ

太田房江とは日本の政治家である。現参議院議員、実業家、タレント

概要

1951年6月26日生まれ(小池都知事より一歳上)で日本初の女性知事となった人物である


広島県呉市の出身で現在は大阪府豊中市新千里南町3丁目に在住


本名は齊藤房江(さいとう ふさえ)で太田は旧姓


愛知県立時習館高等学校を経て東京大学経済学部経済学科卒業後、1975年に旧通商産業省へ入省。通商産業研究所研究部研究主幹、産業政策局消費経済課長、近畿通産局総務企画部長を経て1997年に岡山県副知事に就任し当時の県知事であった石井正弘の下で副知事を務めた。1999年通商産業省に復帰し大臣官房審議官(局次長級)となった


横山ノック前知事の辞任に伴う2000年の大阪府知事選挙に自民党・民主党・公明党などの推薦を受け立候補し、日本初の女性知事となった。2004年の知事選では社民党も推薦に加わったことで高い知名度を背景に参議院議員を2期12年勤めた後に知事選に出馬した江本孟紀を大差で破り再選を果たした


2007年11月18日に投票の大阪市長選挙は、各党で対立する立候補があったため、自身が各党からの推薦を受けていた太田は中立の姿勢を示していた


しかし民主党推薦の平松邦夫が当選すると平松の事務所で一緒に万歳をした(所謂バンザイ事件)


現職の關淳一大阪市長を推薦していた自民・公明両党側は太田をバッシングする


太田は「礼儀として当然」と釈明したが、このバンザイ事件によって自民・公明両党との関係が最悪に陥りこの不祥事の責任を取る形で知事選3期目への出馬断念&退任表明に追い込まれ2008年2月5日に大阪府知事を退任した


半年後の2008年6月27日には総合ガス企業・エア・ウォーターの非常勤取締役・経営戦略室特命担当に就任。2010年に農業戦略部長とグループ会社のエア・ウォーター農園代表取締役社長に就任し2012年に退任


その間は住田裕子が代表理事を務めるNPO法人、長寿安心会の大阪支部長、関西大学、大阪産業大学などの関西の有名大学を中心に客員教授を務めた


2013年に投票された第23回参議院議員通常選挙に比例代表候補として自由民主党公認で出馬し同党大阪府連の重点候補として支援を受けたものの集票はあまり得られなかった


が結果として77,173票を獲得して比例区改選議席48の47番目に着席する。この選挙における自民党の比例区候補としては最下位の18位での当選となった


2015年には第3次安倍第1次改造内閣で厚生労働大臣政務官に就任した。2017年には自由民主党女性局長に就任


2018年12月13日、自民党は翌年7月に予定される第25回参議院議員通常選挙に太田を大阪府選挙区から擁立する方針を決定


太田の擁立は党本部の意向によるもので、既に同選挙区での擁立が決定していた柳本顕と合わせて自民党単独で複数議席を狙う方針であった


その後に柳本は大阪市長選に出馬するため参院選の公認を辞退し、自民党は2019年6月に候補者を太田に一本化することを正式決定


投開票の結果、太田の得票は第24回参議院議員通常選挙で当時、自民党候補であった松川るいが獲得した約76万票を20万票以上下回る約56万票の得票となり4位での再選となる


実績

一般的な活動や選挙活動は通称の「太田房江」で行えるが公文書などの署名は戸籍上の氏名で表記する必要がありそのため本名の「齊藤房江」で行われた


大阪府知事が公務において通名と本名を使い分ける行為は前任の横山ノックからであり2008年に後任の橋下徹が就任するまで13年間という長いスパンで在任した


大相撲の優勝力士に贈る大阪府知事賞の贈呈を巡り女人禁制の土俵に知事自らが上がりたいという珍妙な発言を行ったが、やはり日本相撲協会に拒まれる事態となり断念(当然の事だが)


ふるさと納税に対しては大都市の首長として石原慎太郎東京都知事などと同様反対の意思を表明する


彼女が府知事として在任していた2期8年間の主な実績としては


・シャープ新工場(堺市堺区)などの企業誘致

・関西国際空港の2期工事(第2滑走路供用開始)

・大阪全般の治安の改善、行財政改革


であるがそれでも治安の悪さは改善されず橋下徹が在任するまで長い時間を要する事となった


大阪都構想

大阪府・大阪市における二重行政・二重投資を解消するため太田は2000年に大阪府・市を合併させる「大阪都構想」を主張


これに対し当時、大阪市長であった磯村は反発し、逆に市の権限を強める「スーパー政令市構想」を主張


その後に大阪府は2004年に発表した『大阪都市圏にふさわしい地方自治制度』の中で「大阪新都」構想を主張した


要約すれば政令指定都市としての大阪市は残すが大阪府を廃止して「大阪新都機構」という広域連合に再編するというもの


新都機構には評議員会を設置し府下の政令市や各市町村が広域行政の意思決定に参加。国から権限や財源の移譲を受け、新都全域にまたがる都市基盤の整備事業などを行う一方、市町村は大阪府から権限を譲り受け基礎自治体として住民サービスを行うといった内容だった


これらの提案はいずれも彼女の在任中には実現に結びつかなかったが大阪都構想そのものは後任の橋下徹ならびに自民党府議会議員だった浅田均と松井一郎が立ち上げた大阪維新の会に受け継がれる形となる


しかし大阪市特別区設置住民投票が行われた2015年5月に太田は大阪都構想に対し反対の立場を取った。これについては「2004年の大阪新都構想は政令市を残し住民自治の拡充を図るものであり維新の考える都構想と私の思い描く維新とでは考え方が異なるので反対の立場を取らせていただきます」と答えている


人物

やや保守的かつ軍国主義寄りな思想であり安倍晋三に対しては肯定的な意見を取る事が多くマイノリティ派の事柄には一切耳を傾けない姿勢を持つ。また女性天皇の制度についてどう思うか?の問いと今後の日韓関係についてはいずれも無回答な姿勢


以下は参議院のサイトより一部抜粋


・消費税10%の引き上げには賛成派(しかしそれ以上の事は分からない)

・憲法改正には反対で敵国には武力で制圧するべきで対話は望まない

・同性婚に関しては反対

・夫婦別姓の件についてはノーコメント

・自衛隊の戦力は保持すべき

・原発は残すべき

・外国人労働者は受け入れるべき

・一票の格差は是正すべき

…など


外部リンク

オフィシャルサイト

参議院 公式サイト

Wikipedia

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