経歴
1951年6月26日、広島県の生まれ。大阪府在住。東京大学経済学部卒。
「太田」は結婚前の旧姓であり、公文書などの署名では現在の本名である「齊藤房江」を用いる。
大学卒業後の1975年に旧・通商産業省へ入省し公務員に。住宅産業課長・近畿通商産業局総務企画部長・消費経済課長を歴任したのち、政治家へ転身して1997年から1999年に岡山県の副知事を務めた。
岡山県副知事退任後、通商産業省へ大臣官房審議官として一時期復帰するも、2000年に大阪府知事選挙に立候補して当選。橋下徹に交代するまでの2期8年に渡り大阪府知事を務めた。公選による女性知事は日本全国で初の事例。
大阪府知事退任後は実業家・タレントとして活動をしていたが、政治家へ復帰して2013年の参議院議員選挙に自由民主党からの公認を受け比例で立候補。比例内で最下位当選して国政進出。
2019年は大阪選挙区から出馬。この選挙区では当時、大阪では有力な若手政治家・柳本顕と共に出馬する予定だった。
2019年3月柳本顕が大阪市長選に出馬するため辞退したが落選。
その後柳本を再び参院選の公認候補に戻そうとするが大阪での「共倒れ」を恐れた自民党は太田房江に一本化した。
この行動が柳本寄りの大阪の地方議員達の怒りを勝った為、振るわず最下位当選となった。
現在は2期目に入っている。国政では厚生労働大臣政務官、自民党女性局長などを歴任した。
問題行動
大阪府知事時代、彼女は数々の問題行動を起こしている。
・大相撲3月場所で「土俵に上がって優勝力士を表彰する」役割を「女性だから」という理由で断られたことにご立腹。
・2007年の大阪市長選で民主系の候補を応援した。
などがあるが、中でも悪質なのが、
府の積み立てた減債基金・5200億円を横領したことである。
これにより後任の橋下徹は財政の立て直しを余儀なくされ、その基金の修復には後代の松井一郎、吉村洋文を含めて15年かかった。
この事を橋下徹はことある度に非難しているが、太田本人は「あくまで府の借金を返済するための合法だ」と主張し、一歩も引かない。