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球磨(軽巡洋艦)の編集履歴

2020-04-06 05:11:29 バージョン

球磨(軽巡洋艦)

くま

日本海軍の軽巡洋艦。

水雷戦隊の旗艦を担うために5500トン型軽巡洋艦の最初の艦として佐世保海軍工廠で1918年(大正7年)に起工し、1920年(大正9年)就役。


機関の最大出力が90000馬力(完成当初の長門ですら80000馬力)と言う高出力に加え、最大船速も36ノットと言う脅威の性能だったが、太平洋戦争時には旧式化しており、近代化改装の上参戦。1944年(昭和19年)1月11日、マラッカ海峡沖でイギリス海軍のツタンカーメン級潜水艦タリー・ホーの雷撃2発が直撃し、轟沈した。


なお、残骸は後に中国の違法サルベージ業者によってスクラップとして売却されてしまった(羽黒も同じ業者による被害にあっている)。


軽巡洋艦球磨の艦内神社の分祀元は、熊本県球磨郡湯前町にある「市房山神宮」(本宮)であった。しかし地元ではこの事を知ったのはごく最近のことで、市房山の山中にある本宮には勿論、湯前町にある下宮の「里宮神社」にもそういった資料が一切残っておらず、宮司の息子さんが2014年にTwitter上で初めて知った。「公式HP

平成28年)の1月11日に初めて慰霊祭が執り行われ、現在は下宮の「里宮神社」の境内に軽巡洋艦球磨の慰霊碑と球磨の戦歴や、地元人吉の海軍遺構等が紹介されている。

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