概要
世界初の滑腔砲を搭載した戦車であり、ソビエト初の第二世代MBTである。
元々ソビエト軍は50年代から新型戦車(後のT-64)を計画していたが、完成時期が延期することは目に見えていたため本車は開発された。
特徴
最大の特徴は115mm滑腔砲の搭載である。
それまでの主力であったT-54、T-55が搭載するD-10 100mmライフル砲は、西側諸国の戦車が使用する90mm砲(アメリカ)や20ポンド砲(イギリス)と対等に撃ち合える性能を有していたが、イギリス製のL7 105mmライフル砲が登場したことで劣勢に立たされることを危惧し、更なる火力向上が図られた。
火力こそ向上したものの、照準器の性能不足で1,500m以遠では命中率が極端に低下する、視認性を低くするためになるべく小型にするソ連戦車の特徴から、居住性のみならず砲弾の装填作業を阻害するなどデメリットも多かった。
戦歴
ソビエト軍には採用されたものの、他のワルシャワ条約機構加盟国の軍には配備されずチェコスロバキアで1973年以降に生産が始まったが1,500輌に止まり、それはエジプトとシリアに売却された。
その車両が第四次中東戦争で運用されたが、ゴラン高原での戦闘では乗員の訓練不足と主砲の傾斜角度の少なさから、イスラエルのショット・カルやマガフにコテンパンにされるという結果に終わった。なおこの戦いでイスラエルが鹵獲したシリア軍のT-62がアメリカにわたっている。