生涯
嵯峨源氏・源融の子孫で、源宛の子として出生する。正式な名のりは源綱(みなもとのつな)。通称は渡辺源次(わたなべげんじ)。
官位は正五位下、丹後守。
仁明源氏の源敦の養子となり摂津国西成郡渡辺に居住した際、渡辺綱などと称して、今日の渡辺氏の祖となった。
その後、摂津源氏の源頼光に仕え頼光四天王の筆頭として大いに活躍したとされている。有名なところでは「大江山の酒呑童子退治」や京都の「一条戻橋の鬼退治」などがある。
ちなみに先祖の「河原左大臣」源融は源氏物語の主人公・光源氏のモデルの一人とされるが、綱もまた美形だったという。
余談
節分の豆まきの際に、苗字が渡辺の人はしなくても鬼が近寄ってこないとされる逸話があるが、これは渡辺綱が鬼を退治した事に由来している。
関連タグ
茨木童子(「一条戻橋」、「羅生門」などで撃退したとされる因縁の相手)
髭切(「一条戻橋」の時に鬼の腕を斬ったとされる刀)
帝都物語 彼に関する記述が幾つか出てくる