概要
幼い頃から並外れた智謀を持っていた。
関税を撤廃したり無駄な役人を削減したりと政治面で革新的だった。
また大将軍として東興の戦いで魏の大軍を破って名声を得たが、後に周囲を諫めを無視して強引な戦を仕掛けた結果、大敗する。諸葛恪は敗戦の責任を取ることなく独断専行を続けたため孫峻らによって謀殺された。
陳寿は「諸葛恪は才気にあふれ、大きな展望をもって働く事ができ、国内の人々の賞賛を受けていたが、驕慢で狭量であった」と評している。
諸葛恪の行動の問題さは、孫権や陸遜や諸葛亮らにも見抜かれていた。
父の諸葛瑾も生前、「息子は頭が良すぎる。家を栄えさせるのもこの子だろうが、家を滅ぼすのもこの子になるだろう」と将来を懸念していた。