概要
生年不明、没年不明。
元益州刺史であり、趙昂の妻。
三国志上で唯一戦場で戦ったことを認められている女傑であり、夫・趙昂の9つの奇策すべてに参画したとされている。
当時の女性は戦に出ることはほぼなかったことを考えれば、王異がどれほどの女傑であるかは想像に難くない。
なお、三国志演義には王異は登場しない。演義は蜀贔屓なので下手に取り扱うと馬超の名に傷をつけるので仕方ない話ではある。理由については後述の因縁を参照。
人物像と三国志での王異
勇猛果敢で才知に優れ、それを以って夫を陰から支えた三国志一の女傑。
その勇猛は戦に出ることで証明され、その才知は夫の9つの戦に献策を行ったほど。
戦術のみならず局面局面で才能を発揮し、必要とあらば非情な決断もでき、機転の効いた行動のできる女性であった。
そのため女性でありながら名声は高く、他の国の武将も彼女を知る者がいたほどである。
涼州の貞婦
趙昂が羌道県令になった時、王異は西県に住んでいた。この時、同郡の梁双が反乱を起こして西城を攻め落とし、趙昂の息子二人を殺した。
王異は梁双に乱暴を働かれる前に自刃しようとしたが、娘の趙英(当時六歳)を見て思い留まった。さらに「私がお前を見捨て死んだなら、お前は誰を頼りにすればよいのでしょう。西施(春秋時代の美人)も不潔な服を着れば人が鼻をつまむという。ましてや私は西施ではないのですから」と言って汚物を塗りつけた麻をまとい、物を食べずに痩せ細って醜く見せた。
後に梁双が郡の長官と和解したため、捕虜となっていた王異は解放された。趙昂の出した迎えが来たため、趙英と共に夫の任地へ向かった。
王異は、その道中で趙英に対し「婦人は正式な使者がなければ、死が迫っても部屋から出てはなりません。それゆえ昭姜(貞姜)は溺死し、伯姫は焼け死にました。彼女たちの伝記を読む度、その貞節を立派に思ったものです。しかし、今の私は騒乱に遭いながら死ぬことができなかったのです。今更姑たちに顔を合わせられるでしょうか。私が恥を偲んで生き永らえたのは、ただお前が心配だったからです。父のいる宿舎はもうすぐです。私はお前と別れる事にしましょう」と言った。
趙英と別れた後、王異は自害しようとして毒を飲み、気絶した。しかしその時、丁度その界隈に解毒剤があり、口をこじ開けて薬を飲ませられたため、一命を取りとめた。
馬超との因縁
中でも、王異というと馬超との因縁を思い浮かべる人もいるだろう。
馬超が冀城を攻撃し、それは長引いた。
曹操が救援に来てくれるという希望はあれど、曹操は遠く鄴にあった。そのため、曹操から長安にいる夏侯淵に命令が下るのは時間がかかる。
王異と趙昂は篭城していたが、攻撃が長引いたせいでついに食料が尽きてしまう。城の中は飢餓で満ち、このままでは飢えて死ぬか、馬超に討ち取られるか、どちらか一つしか道がない。
それを見ていた韋康は、自身の情の深さから、馬超への投降を提案した。趙昂は同僚の楊阜と共にこれを諫めたが、聞き入れられなかった。
趙昂が王異にこれを話すと、王異は「夏侯淵は丈夫だから、専断が認められる。だから独断で出陣し救援に来ているかもしれない。絶対に降伏してはいけません」とこれを諌めた。
降伏したところで、曹魏に恨みの強い馬超が自分たちの身を保障するとは思えなかったからだ。
これを進言しようと役所に戻ると、韋康はすでに馬超との和議を結んでいた。そして王異が懸念した通り、馬超は約束を破って韋康を殺害してしまった。
そのとき馬超は、趙昂が自分のために働いてくれるよう願っていた。
いくら憎い曹魏の者とはいえ、そういった人間が一時的に自陣にいることで、曹魏の内部の情報が得られるかもしれないとの考えがあった。
そこで馬超は趙昂の嫡男の趙月を捕らえ、人質とし、趙昂を脅した。趙昂はこれには抗えず、ついに楊阜と共に馬超に従った。
しかし、趙昂と楊阜は心から馬超に服従するものではなかったし、当の馬超も趙昂を完全に信用してなどいなかった。
馬超の妻・楊氏は、王異の武功と名声を聞いていた。そしてその名声ゆえに「語り合いたい」と言い、王異を招いた。
王異はこれを活かす機は他にないと、乗じて計略を発動する。
まず、楊氏との席で王異はこう切り出した。
「治と乱は人材を得ることが肝要。管仲は斉の桓公の敵でしたが、斉に入ってからは桓公を助け九州合併の功績を立てました。秦の穆公は、敵であった由余を味方に引き入れたことで霸業を完成させたのです。これらのことを思えば、現在、いまだ国は安定しはじめたばかりです。また、涼州の兵馬こそが中原の国と争うことが出来るのです。熟慮しなくてはいけません」
楊氏はこの話にいたく感銘を受け、王異を信用した。そして楊氏が王異と交流を深めたため、馬超も趙昂を信用するようになっていく。
この王異の知略のおかげで、趙昂・楊阜は馬超討伐の計画を実行に移すことが可能となった。
しかし、問題が一つ残っている。
未だ人質に取られている息子、趙月のことである。
考えあぐねた趙昂は王異に「人質の趙月はどうしよう?」と訊ねた。
すると王異は、「忠義を立て、君父の恥辱をすすぐのに比べれば、自分の首を失っても大した事ではありません」と言った。
趙昂はこれを聞いて「すばらしい」と言い、馬超が冀城から出た隙に城門を塞いで閉め出した。
結果として、馬超は漢中へ逃げ去った。
その後も、怒りに燃えた馬超は張魯から軍勢を借りて引き返してきたりした。
しかし王異は趙昂とともに祁山に立て籠って必死に抵抗した。
そして三十日もすると救援軍が到着し、王異と趙昂はようやく馬超の包囲から解放されたのである。
しかし人質にとられていた王異の息子趙月は、とうとう馬超に殺されてしまった。
メディアでの王異
『三国志大戦』シリーズ
初出は、初代三国志大戦。全シリーズ皆勤賞である。
イラストは、三国志大戦3では広瀬総士氏、米谷尚展氏、CLAMPが担当している。
通常の武将カードとしてニ種類、軍師として一種類、EXに一種類存在している。
レアリティは排出停止とEXを除いて全てSR。
EXはゲーム上ではレアリティの低いUCと同等の扱いであるが、入手方法が限られていることを考えると、結構すごい。ちなみに、このEXがCLAMPが描いた王異である。
CLAMPが描いた王異は白の布をふんだんに使った優雅なドレスに、きつめに巻かれた黒く長い髪の、高潔な美女である。
兵種は、実際に戦闘に出ない軍師を除くと魏に弓が2枚、群雄に馬が枚、群雄扱いの排出停止が1枚となっている。そのどれもが武力がやや低く、しかし知力が高いという構成。
軍師のほうは、攻略(陣)も兵略(全体効果)も優秀。どのカードを使っても様々な攻略が可能という、なかなかにハイスペックな出来。
ただシステム上同じ名前の武将は二人使えないし、どの王異も美女である。
計略とスペック、軍師なら組んだデッキとの相性をよく考えて、自分の好きな王異を選ぼう。
SR王異
GSR王異
王異(真・三國無双)を参照。