概要
日本三大霊山(恐山、高野山、比叡山)、日本三大霊場(恐山、白山、立山)、日本三大霊地(恐山、立山、川原毛)の一つ。
今を遡ること1200年前、慈覚大師円仁が入唐求法中の一夜、霊夢に聖僧が現れ、「 汝、国に帰り、東方行程30余日の所に至れば霊山あり。地蔵尊1体を刻し、その地に仏道をひろめよ。」とのお告げをうける。
大師は直ちに帰国し、霊山を探して諸国を行脚。辛苦の巡錫を重ねてこの地に至り、山川大地まさに霊山なりし所がここ恐山である。
恐山は、下北半島の中央に聳える霊峰である。この地は、宇曽利湖と白砂の大地を中心に、地勢恰も蓮華八葉の形状をなし、釜臥山、大尽山、小尽山、北国山、屏風山、剣の山、地蔵山、鶏頭山の八峰に囲まれ、その中に地獄の形相を現す数108。転ずれば風光明媚浄土の相。全てが霊夢と符号すえうので、大師自ら御丈6尺3寸の地蔵を刻し、1宇を建立後本尊として安置し、仏道教化に精進されたのである。
地蔵菩薩の「地」という文字は大地をあらわし、「蔵」は生命を育む母胎をあらわしている。人に踏まれながらもひたすら支えてくれるこの大地と、人々の痛みをわが痛みとしてしかと受けとめてくれる慈母の如き心こそ、地蔵菩薩そのものなのである。「地獄の責め苦を代わりに受けて、生死に迷う人間を助け、清浄世界の天人を渡す」
この地蔵菩薩の請願がある限り、深山の硫黄が咽ぶ地獄谷も絶対安楽の大地であり、「地蔵と共におわす故に浄土なり」と、無言の説法が巡らされているのである。
今は亡き肉親の菩薩をとむらうため
故人の霊としみじみと語り合いたいため
自分の信仰心をより一層深めたいため
1千年の永きに亘り、「人が死ねばお山(恐山)に行く」という素朴な庶民心情の下、さまざまな祈りの姿が繰り広げられているのである。
恐山に縁のある主なキャラクター
その他