ゴッホ
ごっほ
概要
印象派の画家たちと、葛飾北斎の浮世絵版画に影響され、鮮烈な色彩と力強い線で描かれた作品が多い。
ゴッホ自身の激しい性格と、その短くも強烈な生涯から「炎の画家」と呼ばれている。生前には作品が1枚しか売れず、死後に評価が高まった不遇の画家としても知られる。
描けども描けども絵は売れず、親兄弟とも確執があり、さらには精神まで病む暗い人生を歩んだゴッホだったが、画商を営んでいた実弟のテオドルス・ファン・ゴッホ(テオ・ファン・ゴッホ)が唯一の理解者であったと言われている。
彼の光る才能を見出していたテオは兄の生活の全てを面倒見ていたほか、生前に売れた1枚を除いて作品の全部を引き取っていた。
友人がいなかったわけではなかったが、かなりの偏屈者である事と、激しい気性のため、一時は親密だったゴーギャンとの衝突も避けられず自分の耳を切り落としてしまった。フランスから来た画家シニャックとは仲が良く、彼が耳を切り落とした事件の際、見舞いに来ていた。
晩年は、精神的に不安定な状態が続いたため、療養生活を送りながらの生活となり、拳銃自殺により37年の短い生涯を閉じた。兄の死を看取ったテオは深い衝撃を受け、まもなくその後を追った。
ゴッホの描いた500点もの絵はそのまま歴史の闇に消えるかと思われたが、それを阻止した人物がいた。テオドルスの妻・ヨハンナである。
夫とゴッホが遺した手紙を読んだヨハンナは夫の遺志を継ぐことを決意し、周囲の反対を押し切ってゴッホの展覧会を開く。
最初のうちはやはり受け入れられなかったものの、ヨハンナが展覧会を何度も開くうちにその魅力に気づく者が現れ始め、ゴッホの絵は徐々に注目されるようになる。
そしてアムステルダムで大規模な展覧会が開かれたのを機に、ゴッホは熱狂的に愛されるようになったという。
代表作
『ひまわり』(7つのひまわり)
『アルルの跳ね橋』
『黄色い家』
『ゴッホの寝室』
『ゴッホの椅子』
『夜のカフェテラス』
『星月夜』
『タンギー爺さん』
『アルルの女』
『自画像』
『雨の橋』(歌川広重『大はし あたけの夕立』の模写)
創作でのゴッホ
フィンセント・ファン・ゴッホを題材にした人物、またはモチーフにしたキャラクターが登場する作品。
『ラヴヘブン』
乙女パズルゲームの攻略キャラクター。→ゴッホ(ラヴヘブン)
ポスト印象派の代表的な画家。ゴーギャンとの共同生活の末、精神的な病を負う。彼は今も信頼出来る人間を探し続けている。(ゲーム内プロフィールより引用)
異世界の危機を救うため、主人公により召喚された。
CV:荒牧慶彦
名作「ひまわり」を描き、太陽を愛した天才画家。
ゴッホ兄弟の兄であり、穏やかな性格から“優しき天使”と呼ばれている。
怒りや嫉妬という感情が抜け落ちてしまっている彼が恋を知ったその時、大きな変化が訪れて……?
(公式プロフィールより引用)
ゴッホの肖像画の一つがウンガロのスタンドボヘミアン・ラプソディーによって実体化した。ウェザー・リポートのとっさの機転で新作を作るはめになった。
『業火の向日葵』
ゴッホの代表作「ひまわり」7点のうち、太平洋戦争により唯一焼失した2番目のひまわり、通称「芦屋のひまわり」が発見され、怪盗キッドがその向日葵を狙うストーリー。
『最後のレストラン』
拳銃自殺の寸前のゴッホが現代のレストランのヘブンズドアにタイムスリップした。
『ガカバッカ』
現世で認められるために天国から日本へ脱走した。どんなに作品を描いても贋作としか見られなかった。
漫画喫茶で日本漫画界の神の手塚治虫の作品を読んで漫画家を目指す様になった。
何故か、女の子になっている。
その他
- 実はゴッホの生まれる前の1852年にもフィンセント・ファン・ゴッホがいたが、その時の赤ん坊は死産だったという。その1年後に新しく赤ん坊が生まれた際に、夫婦は改めてその子にも兄と同じ「フィンセント・ファン・ゴッホ」の名を付けたという。
- 芸術家同士が互いに刺激しあい絵の代金を分配しあう相互扶助の構想を打ち立てたことがある。しかし、その話に応じてきてくれたのはゴーギャンだけで、しかもゴーギャンとは性格的に合わず、共同生活を送れたのはわずか2ヶ月程度だったという。