概要
経歴
2014年にドラフト3位で日本新薬より、入団。
2015年には新人ながら開幕戦に出場、最終的に108試合出場し、打率.208になった。
2016年には、開幕からスタメン出場、打率も.298守備のほうも遊撃手リーグ2位の守備率.989を記録した。しかし、シーズン終盤に腰痛が悪化、パフォーマンスを大きく落とすこととなった。
2017年も、開幕戦から出場し、全試合出場を達成、開幕から打撃は低調だったものの、7月後半から調子をあげ、前年度より下がったものの.262に落ち着いた。
2018年に、FAで大和が加入し、開幕戦から二塁手で起用されるも、打撃・守備も悪化し、試合数も前年の143試合出場から、85試合と大きく減少した。
2019年は、首脳陣に遊撃手として、勝負させてほしいと直訴、24試合出場し、打率も.121と打撃不振となった。
本人にとっても戦力外がかかる2020年には、開幕から代打や、守備固めに起用されるも、打撃面は、低空飛行のままだった、しかしラミレス監督のアドバイスにより、2016年時の打撃フォームに戻すと、打撃面でも調子を上げ、2年ぶりにホームランを打つなど改善し、守備面でも大きなミスも減少し、大和、柴田竜拓、中井大介と、併用され、打率.276と復活を果たした。
プレースタイル
守備は、入団当初から堅実な守備が持ち味と言われるほど、高い守備率を誇っていた、しかし、2016年終盤に腰痛が悪化し、拙守が目立つようになった、2017年以降もその影響が残り、守備の方でも失策が目立った。そのため、なんJでは、T-倉本という蔑称が生まれるほど、守備の悪いイメージがついてしまった。
余談
応援歌は、大洋時代の石井琢朗の流用である、また本人はこのネット上の扱いについて、知っているとインタビューで答えている