プロフィール
経歴
社会人野球・日本新薬時代の2014年、ドラフト会議にて横浜DeNAベイスターズから3位指名を受け入団。2016年には3割近い打率を残して遊撃手のレギュラーに定着。17年には石井琢朗以来のフルイニング出場と、無類の勝負強さで「恐怖の9番打者」と恐れられ、チームの日本シリーズ進出に大きく貢献した。
- 2015年は新人ながら開幕戦に出場。最終的に108試合出場し、打率.208と結果を残した。
- 2016年は開幕からスタメン出場、シーズン途中まで打率は3割台を推移。8月以降は調子を崩し、最終的には打率は.294を記録し、守備面でも遊撃手リーグ2位の守備率.989を記録した。
- 2017年も開幕戦から出場し、全試合出場を達成。3・4月の打率が1割台と絶不調だったが、徐々に調子をあげ、最終的な打率は.262に落ち着いた。また、シーズン中は専ら「9番・遊撃手」として出場。得点圏打率は.342とリーグ2位を記録し、前年度を上回る50打点をあげる。一方、守備面ではイージーミスを多発するなど前年度より指標が悪化。失策数も前年度の倍を記録するなど課題を残した。
- 2018年はFAで前田大和(登録名は「大和」)が加入し、開幕戦から二塁手で起用されるも、打撃・守備も悪化。5月31日に登録を抹消されると、以降は代打や守備固めとしての出場が増え、スタメン起用の数は大幅に減少。出場試合数も前年の143試合から85試合となった。
- 2019年は、首脳陣に遊撃手として勝負させてほしいと直訴するも、オープン戦から打撃は絶不調。開幕は1軍として迎えたが、出場試合数は24、打率.121と大幅に成績が悪化した。
- 2020年は開幕から代打や守備固めに起用されるも、打撃面は低空飛行のままだった。しかしアレックス・ラミレス監督のアドバイスにより、2016年時の打撃フォームに戻すと打撃面でも調子を上げ、2年ぶりにホームランを打つなど大きく改善した。9月ごろまでは打率が3割を超えるなど復調したが、終盤は20打席ノーヒットも響き打率は.276に落ち着いた。2016年終盤に負った怪我が癒えたことで守備面でも大きなミスも減少。シーズン中は前田大和、柴田竜拓、中井大介らと併用される機会が多かったが、チーム内最多となる55試合のショートでのスタメン出場も果たした。
- 2021年は代打待機が多く、満塁の場面で2点タイムリー安打を放つなど一定の勝負強さは見せたが、5月9日の阪神タイガース戦での初回、一塁へのヘッドスライディングを行った際に左手薬指を負傷して翌10日に登録抹消された。8月下旬に再登録されたものの打撃面で結果を残せず、9月下旬に再び登録抹消され、以降はシーズン終了まで2軍で過ごした。
- 2022年は開幕1軍入りしたものの主に守備固めとして起用。44試合に出場したが打率.173と結果を残せずシーズン終了後戦力外通告。プロ野球選手としてのキャリアはここで一旦途切れ、社会人野球・日本新薬に戻って野球競技生活を続けていた。
- 2023年オフ、NPBに参加する2軍のみのチーム・くふうハヤテベンチャーズ静岡と契約。
人物
- 堅実な守備が持ち味と言われるほど、守備面では一定の評価を得ていた。しかし、2016年終盤に腰の怪我を負って以降、2017年~2018年にかけて簡単なゴロを内野安打にしたり、送球ミスが増えるなど拙守が目立つようになり、失策数も増加した。そのため、なんJでは「T-倉本」という蔑称が生まれるほど、守備の悪いイメージがついてしまった。
- 打撃面ではチャンスに強く、2017年では満塁時の打率が5割を記録するなど、特に満塁の場面に強い。積極的なバッティングスタイルの影響で四球の数は少ない。
- 応援歌は石井琢朗の流用。彼は自身にとっての憧れの人。
- 本人はこのネット上の扱いについて、知っているとインタビューで答えている。