概要
1881年10月25日、マラガの小さな家で男の子が生まれた。残念な事に産婆は、すぐに死産を宣告した。
出産に立ち会った人々は悲しみにくれていた。その中にサルバドール・リッツという内科医がおり、彼は赤ん坊の蘇生を試みた。彼は驚いた事に皆が諦め顔の中、タバコを吹かし、赤ん坊の鼻へ向け煙を吹きつけたのである。繰り返すこと数分、赤ん坊は体を動かしはじめた。つまり蘇生したのだ。
その赤ん坊こそが後世に偉大な芸術家といわれたパブロ・ピカソである。
(アントニオ・ニュネス・ヒメネス)
20世紀の芸術史を代表する画家の一人。常に新境地を開拓し続け、年代によって作風がめまぐるしく変化したことでも有名で、それぞれの時期は「青の時代」「ばら色の時代」「アフリカ彫刻の時代」「キュビズムの時代」などと呼ばれている。
ある意味「一般人には理解し難い天才」の代名詞とも言える作風で知られるが、10~12歳時のデッサンや14歳時の絵画「初聖体拝領」を見れば一般的尺度でも凄いのはよく判る。
また絵画だけでなく版画・陶芸・彫刻なども制作しており、最も多くの作品を残した美術家としてギネスブックにも掲載されている。
人物
現在でいうADHDの気があり、読書も計算もまともに身につかなかった。中学受験の際も、コネでわざと簡単な問題を出してもらったにも関わらず間違えまくり、しまいには試験管に答えを教えてもらう始末であった。
入学こそしたものの、そのような裏口入学をしたところでやっていけるはずもなく、2年で中退する。
唯一人並み以上のものを示していたのが絵画であり、美術教師でもあった父親が付きっ切りで教えることにより、画家として大成することができた。
私生活では大変な女好きで、女性をめぐるトラブルが絶えなかった。作品を制作している時を除いて、傍らには常に女性がいた。
アトリエに二股をかけていた女性たちが踏み込んできて修羅場になりかけたこともあったが、ピカソは「戦って勝った方と付き合う」と言い、取っ組み合いの喧嘩を始める二人を尻目に、制作に戻ったという。
その時作っていた作品こそが、争いの愚かしさと平和を訴える傑作『ゲルニカ』である。
ナチス・ドイツのフランス侵攻でパリが陥落した際、ドイツ軍将校に「『ゲルニカ』を描いたのはお前か」と問い質され、「いや、あなたたちだ」と返した。
30歳の時、ファンだという女性に頼まれて、その場で絵を描いてみせたが、わずか30秒で描き上げたそれを「100万ドルの価値の絵だ」と嘯いて手渡した。「30秒しかかかっていないのに?」と訊かれると、「30年プラス30秒かけた作品なんだよ」と答えた。
初めは「パブロ・ルイス・ピカソ」、後に父の姓の「ルイス」を省いて「パブロ・ピカソ」を名乗ったが、フルネームは非常に長い。→(パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ファン・ネポムセーノ・マリーア・デ・ロス・レメディオス・クリスピアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソ)
代表作
『アヴィニョンの娘たち』
『ゲルニカ』
『泣く女』
創作でのピカソ
ピカソが登場する、または題材にしたキャラクターが登場する作品。
『ラヴヘブン』
乙女パズルゲームの攻略キャラクター。初期レアリティはNでの登場。
異世界の危機を救うため、主人公により召喚された。
詳しくは→ピカソ(ラヴヘブン)
『猫のニャッホ』
CV:板垣優稀
キャラクターの一人で白猫。主人公であるニャッホとは正反対の性格をしている。
関連タグ
本名が長いキャラ(実在人物の項目あり)