CV:三森すずこ(HDリマスター版)
概要
「知識の詰込み」よりも「人としての重み」を重視する教育方針を取る。受胎前には生徒にかなりの人気があった。
主人公の同級生の新田勇は彼女のファンだったが、のちに幻滅している。
劇中の遍歴
東京受胎以前
儀式の要たる創世の巫女・として氷川を篭絡された後、遂に新宿衛生病院にて東京受胎を実行する。その最中表向きは病気ということで見舞いに来ていた1人の少年が氷川の居る場に現れた為、少年を殺そうとする氷川に「彼を見逃せないのならば協力しない」と、緩やかな脅迫を受けた為に見逃させた。
その後、病院の屋上に主人公を誘った彼女は、「今のままでは世界は死んでしまう。それを回避するために世界を創りなおす」と宣言。茫然とする彼の目の前で裕子は儀式をはじめ周囲が力に包まれてゆく中少年は意識を失う。
東京受胎後
ボルテクス界へと変貌した東京で場数を踏んでいった人修羅はマントラ軍本営に囚われている勇から「先生はニヒロ機構に巫女として奉られている。取り返してほしい」と頼まれ、ヒジリの助力を得てオベリスク最上階でマガツヒを集めるカギにされていた裕子を解放することに成功する。そのことに礼を述べた裕子は「氷川に都合のいいように利用されてきたが、ついに自分のコトワリを拓くための神を見出した」と話す。その直後に彼女にその神‐[[
アラディア]]が取りつき「自らを由とせよ。」という言葉を残して姿を消す。
その後しばらくして妖精が根城にしているヨヨギ公園の一室で裕子と再開。ヤヒロノヒモロギという神の力を操る道具が欲しいが公園の奥にいて脅威を取り除く力は自分にはないのでと人修羅に奪還を依頼する。
そしてサカハギを倒して件の物を彼女に渡すと、礼だけは言われるも再びアラディアに取りつかれてその場を去る。
・・・が彼女の思惑に反して何故か裕子が望むコトワリは一向に訪れる兆候すら表れない。
終盤ではトウキョウ議事堂にて同地に眠るマガツヒの奪取に動き出した氷川と対面するも、
地震の内にあった矛盾を論破される。
「自由や可能性を望んでいるようだが、それなら元の世界にもあった。
目的があるなら元の世界でもやり遂げることが出来たのではないか?」
「どうして生徒まで巻き込んだ?自分が出来ないことを彼らにやってほしかったのか?
それとも自分と同じ挫折を味あわせてみたかったのか?」
「あなたはただ逃げ出したかっただけじゃないのかね?」
そしてこの世界では自身の理想を成し遂げられないと察したアラディアに「此処ではもう自分達の居場所はない、別の場所へ逃げるべし」と促されるも、意地になった裕子は「このままでは元の世界も今の世界も死んでしまう」とこの期に及んでも創世への希望を口にする。自分で創成する力のないアラディアは彼女を見捨てて逃亡。裕子はヤヒロノヒモロギと共に最後の望みを人修羅に託して虚無へと飲み込まれていった。
・・・そして以降は真エンディングを除いて完全にフェードアウト。
その本質
・・・とまぁ、本編での足取りからわかるように、その本質は自分の理想だけは無駄に高いがそれを実現するだけのビジョンや努力が致命的なまでに欠けており、それをもたらしてくれそうと裕子が早合点した人物にホイホイついていっては失敗し挫折を繰り返すという本作屈指のダメ人間。
「安らぎだけを求め競い合うことを放棄してては世界の自由は死ぬ」という抽象的な不満は人一倍あるものの当の本人が競い合うための努力をしておらず、また考えなしに付いていった人物が自分の意に添わぬ行動を起こしても自分に非があると認められないという人を見る目のなさや無責任な気質が垣間見える。
更には”自分の力では到底実現不可能な理想”を追求するあまり元生徒のことを気に掛ける素振りはまるで見せず、唯一彼女が気にかけ接触のある人修羅に対しても「今の世界は気に食わない」「自分の希望の為にこうしてほしい」という願望の押し付けばかりで、自分側から主人公に協力しようとか助けてくれた礼を返そうという意志は見られない。(追記すると上述の氷川は冷徹で狡猾な策士である一方で、自身がその人ありと見込んだ人物には協力や称賛を惜しまない一面が彼と共闘するシジマルートにて描写されている。そんな彼に創成の為の力という重要な鍵を担う裕子がぞんざいな扱いをされていたのは、こういう裕子の薄っぺらい人間性を看破し見限っていたからともとれる。)
身も蓋もない評価をするなら「見た目と創成の巫女としての力しか取り柄が無く(しかも後者は途中で喪失)、意志力も思考も人間関係も未熟を通り越して壊滅的としか言いようがない無責任な大人」としか言いようがない。そんな覚悟のない薄っぺらい人間にコトワリを創造するための力が扱えるはずもなく、裕子の周りには真に彼女を支えてくれる人物や配下が現れなかったのも残当といえる。見方によっては”真エンディングルート以外では人修羅にすらも呆れられ見放されていた”ともとれるであろう。