概要
ゲーム『真・女神転生Ⅲ』に登場するキャラクター。
「知識の詰込み」よりも「人としての重み」を重視する教育方針を取り、東京受胎前は生徒にかなりの人気があった。
勇は彼女のファンだったが、後に幻滅している。
劇中の遍歴
東京受胎以前
儀式の要たる創世の巫女として氷川に篭絡された後、遂に新宿衛生病院にて世界を滅亡させて新しい世界を生み出す東京受胎の儀式を実行する。その準備の最中表向きは病気で病院に潜伏していた。受胎実行の直前、見舞いに来た一人の少年が氷川の居る場に現れた為、少年を殺そうとする氷川に「彼を見逃せないのならば協力しない」と、緩やかな脅迫をして見逃させた。
その後、病院の屋上に主人公を誘った彼女は、「今のままでは世界は死んでしまう。それを回避するために世界を創りなおす」と宣言。茫然とする彼の目の前で、祐子は儀式を行う。
東京受胎後
ボルテクス界へと変貌した東京で場数を踏んでいった少年──人修羅は、マントラ軍本営に囚われている勇から「先生はニヒロ機構に巫女として奉られている。取り返してほしい」と頼まれ、ヒジリの助力を得てオベリスク最上階で、マガツヒを集めるカギにされていた裕子の解放に成功する。それに礼を述べた裕子は「氷川に都合のいいように利用されてきたが、ついに自分のコトワリを拓くための神を見出した」と話す。その直後に彼女にその神──アラディアが取り憑き「自らを由とせよ。」と言う言葉を残して姿を消す。
その後しばらくして、妖精が根城にしているヨヨギ公園の一室で祐子と人修羅が再会。「ヤヒロノヒモロギと言う神の力を操る道具が欲しいが、それを持つサカハギは公園の奥にいて、脅威を取り除く力は自分にはないので」と人修羅に奪還を依頼する。
そして、サカハギを倒した人修羅に件の物を受け取ると、礼こそは言うものの再びアラディアに取り憑かれてその場を去ってしまう。
……が彼女の思惑に反して、何故か祐子が望むコトワリは一向に訪れる兆候すら表れない。
終盤ではトウキョウ議事堂にて、同地に眠るマガツヒの奪取に動き出した氷川と対面するも、自身の内にあった矛盾を論破される。
「自由や可能性を望んでいるようだが、それなら元の世界にもあった。目的があるなら元の世界でもやり遂げることが出来たのではないか?」
「どうして生徒まで巻き込んだ? 自分が出来ないことを彼らにやってほしかったのか? それとも自分と同じ挫折を味あわせてみたかったのか?」
「あなたはただ逃げ出したかっただけじゃないのかね?」
そして、「この世界では自身の理想を成し遂げられない」と察したアラディアに「此処ではもう自分達の居場所はない、別の場所へ逃げるべし」と促されるも、意地になった祐子は「このままでは元の世界も今の世界も死んでしまう」と、この期に及んでも創世への希望を口にする。自分で創成する力のないアラディアは彼女を見捨てて逃亡。裕子はヤヒロノヒモロギと共に、最後の望みを人修羅に託して虚無へと飲み込まれていった。
……そして以降は真エンディングを除いて完全にフェードアウト。
その本質
……とまぁ、本編での足取りからわかるように、その本質は自分の理想だけは無駄に高いが、それを実現するだけのヴィジョンや努力が致命的なまでに欠けており、それをもたらしてくれそうと祐子が早合点した人物にホイホイついていっては、失敗し挫折を繰り返す本作屈指のダメ人間。
「安らぎだけを求め競い合うことを放棄してては世界の自由は死ぬ」と、抽象的な不満は人一倍あるものの、当の本人が競い合う為の努力をしておらず、また考えなしに付いていった人物が自分の意に添わぬ行動を起こしても、自分に非があると認められないと、人を見る目のなさや無責任な気質が垣間見える。
更には”自分の力では到底実現不可能な理想”を追求する余り、周囲に被害をもたらしても「自分が気に食わない」からと罪悪感を抱く素振りすら見せない。唯一彼女が気に掛けて接触のある人修羅に対しても「今の世界は気に食わない」「自分の希望の為にこうしてほしい」等の願望の押し付けばかりで、「自分側から主人公に協力しよう」とか「助けてくれた礼を返そう」等の意志は見られない(追記すると上述の氷川は冷徹で狡猾な策士である一方で、自身が「その人あり」と見込んだ人物には協力や称賛を惜しまない一面があり、彼と共闘するシジマルートにてそれが描写されている。そんな彼に創成の為の力と言う重要な鍵を担う裕子がぞんざいな扱いをされていたのは、こう言う祐子の薄っぺらい人間性を看破し、見限っていたからとも見れる。ニヒロ機構中枢における氷川の台詞も、祐子の巫女としての能力が役立っているというだけで、彼女への人間的な思いやりはまるで感じられない)。
身も蓋もない評価をするなら「見た目と創成の巫女としての力しか取り柄が無く(しかも後者は途中で喪失)、意志力も思考も人間関係も『未熟』を通り越して『壊滅的』の無責任な大人」としか評せない。
但し、祐子のこれらの面は「大多数の人間が持つ、極めて普遍的な性質」に他ならないのも事実である。
実際、将来の希望・目的を持って努力をするのは当然だが、その中で成功するのは努力と才能と実力と幸運の全てを兼ねそろえた、極一握りの人間だけであり、作中でも様々なキャラクターや勢力が野望を持つも、コトワリを啓けずに消滅している。
特に、祐子のような中途半端な才能を持つ人間の場合、ある程度の行為が出来るからこそ、それ以上の事柄から励む意志が起こり難い、その意志があっても既に出来ている事が多い為に「何をすれば良いのか判らない」等の袋小路にも陥り易い。故に「自分に規範を示してくれる存在」に依存・傾倒し易い。
但し、彼女の場合、”分からないなら何をすれば良いのかを調べる”行動力が決定的に欠けており、上辺だけでなく経験に基づいた思考や判断ができず、ひたすらあやふやな好き嫌いで動いている以上、それは頂けない。彼女よりも心の準備無しでこの世界に放り出された千晶や勇にしても、その後は何とか適応しようと努力した後、自分なりに見定めてコトワリを啓いているし、一見して周囲の状況に流されながら動いているように見える人修羅にしても、荒廃した世界に適応する形で培ってきた経験で、イベントの度に選択をする事が出来る。彼に1から創造する力には欠けていたとしても、他人のそれに対して経験に基づき、「戦い」や「協調」の形で意見は出来る(だが、それでも見聞を違えて全てを滅ぼす過ちを犯してしまう=フラグによってはカグツチと戦わず、一方的に「破滅の霊」「悪魔」との呪詛を吐かれるエンディングを迎えてしまうが)で、本作のいずれの勢力も”創世は出来なくとも意見(物理)は言える”人修羅を軽んじてはいない(……が、人修羅の記事にもあるが、人修羅は「最も人物関係に恵まれていない主人公」と評価されたように、まともな交流の1点で見ると、祐子と五十歩百歩だったりする。実際、勇とヒジリは人修羅の実力こそ高く見ていたが、「どれだけ人修羅の力を利用できるか?」の打算が強く、どちらも人修羅を軽んじてはいないが、自分が死ぬ寸前まではその力だけを重要視しているようにしか見えない)。
人は誰しも「一から創造する事」が出来る訳ではないが、「創造する人間(もしくは悪魔)だけで世界が回る」訳でもない。その事実の理解が出来ず他人の意見に耳を傾けず、ひたすら自分の我儘ばかりで駄々をごねるだけで、覚悟のない薄っぺらい悲劇のヒロイン気取りの人間に、創世の規範たるコトワリを創造する為の力が扱えるはずもなく、裕子の周りには真に彼女を支えてくれる人物や、配下が現れなかったのも妥当でもあろう。見方によっては”真エンディングルート以外では、人修羅にすらも呆れられ見放されていた”とも見えるだろう。
但し、真エンディングの「世界が悲しく見えたから」発言から見れば、心が絶望に支配されているようであり、彼女の行き当たりばったりの言動は「自暴自棄からの短慮」と解釈も出来る。
主人公を始め、氷川や勇やアラディアも彼女のいい加減な言動に振り回されている為、ヒロイン……よりはトラブルメーカーの役回りだったりする。また、基本的に重度のネタバレが御法度の公式4コマ漫画集で、上記の『ヒロイン失格級の言動の数々に、人修羅からキレられながらツッコミを受ける』ネタが通ってしまった逸話も持つ。
『真・女神転生Ⅲ Special DVD~創造の軌跡~』においてプロデューサーの岡田氏は
「従来のシリーズにおける主人公のパートナーとしてのヒロインとは違う立ち位置のキャラを出したかった」
「彼女の考えはコトワリにならなかったが、そう表現したことをプレイヤーがどう捉えてくれるかなと思うところはある」
と、述べており、これらの設定はかなり意図的なものと考えられる。
真・女神転生歴代ヒロイン
レジスタンス活動をしていて囚われ処刑されそうになったところを主人公に助けられたり、逆に核爆発に巻き込まれそうになった時には、その身を挺して主人公を逃した後転生したりと、持ちつ持たれつの関係を最後まで保ち続ける。
生き別れた主人公の事を探しており愛情深く母性がある。どのルートでも主人公と運命を共にする。
潔癖症で悪魔を忌み嫌う傾向にあり、マンセマットと意気投合して世界に秩序をもたらす道へと突き進む。
自分から率先して道を切り開くタイプではないが、物事の考察や人付き合いは出来る部類で、責任感も裕子よりもある。最終的にはトウキョウの人々と共存する道を選んでおり、主人公が秩序や混沌に偏り過ぎた場合は、其れを止めようと立ちはだかる一方、トウキョウと共存する道を主人公が選んだ場合、最後まで行動を共にする(ただし、物語の最序盤の言動に関しては、極一部から「改行する毎に主義主張が変わる」と評されてもいる)。