概要
1947年新潟県生まれ。本名は「福井憲雄」(ふくい のりお)。1968年にNHKのドラマの「開花探偵帳」でデビュー。
1971年放映開始の「仮面ライダー」では、主演の藤岡弘、がバイク事故で一時降板したため、東映からのオファーで仮面ライダー2号・一文字隼人役を演じることになる。オファーを受けた際、本郷猛を演じる藤岡弘、とは同じ劇団のメンバーであったことから「彼の主演を取りたくない」という理由で断っていた。が、復帰するまでの穴を埋めて欲しいという条件を付けられて主役を演じた。
復帰後はダブルライダーも打診されたが、「復帰したての状態でそれをすれば、藤岡が番組において付属のような扱いになりかねない」と固辞し、主役の座を藤岡に返した。
しかしその後はゲストとしてダブルライダー回でのゲスト出演に加え、その後の仮面ライダーシリーズに一文字役でたびたび登場することになる。なお、オファーがあれば断ったことは一度もないとのことである(つまり自身が出ていない代役が演じている作品はオファーすらなかったと示している)。大野剣友会は歴代のライダー俳優の中でも立ち回りが上手かったのは佐々木だったと語る。
若い頃からかなりの酒好きであったことで知られる。これが後年の火災事件の原因を作った一方で、それ故に交友のある人物から好かれる部分もある。仮面ライダーのメーク担当の小山英夫は佐々木の人物評を「態度がでかく見えるが実際は酒が入らないと大きなことを言えない気の小さい男で、だからこそ親友として付き合いができる」としている。
1982年には泥酔した結果のストーブの不始末から大火傷を負い、俳優の命とも言える顔を大きく損傷。これにより俳優としての仕事を喪失しほぼ引退状態に陥る。
10号誕生!仮面ライダー全員集合でも声のみで出演したが、面識のあった平山亨ですら後遺症で、一目で本人だとわからないほどであったと語る……。
その後は屋台の仕事など多くの仕事を掛け持ちして借金返済と生活費工面に勤しむが、努力の甲斐も虚しく妻とも結局離婚、人生のどん底まで落ちる。
やけくそになった佐々木は酒浸りに加えてパチンコ屋への入り浸り、ホームレスにまで落ちぶれるなどかなり荒れた生活を送った時期があった。
しかし1990年代に芝居仲間から舞台に誘われ、俳優として復帰を果たしている。この間、舞台の初日には逃走するなど精神面でまだ回復しきってはいなかったが、共演者に励まされてなんとか戻って最終日まで勤め上げる。この間、ライダーファンとの交流があり、その自身を見つめる眼差しや熱意から「期待を裏切るのは失礼だ」と考えを改め、復帰を決意したという。
火災で当時の品はほぼ喪失したが、その後ファンからライダーグッズが送られてくるようになり、心の支えとなったという。どん底に落ちても支え続けてくれた仮面ライダーファンへの感謝を忘れないと語る。
2012年には自らオーナーとなって、ファンとの交流の場として東京板橋に居酒屋「バッタもん」をオープンした。
主な出演作
他の出演作はウィキペディアの記事を参照。