概要
1914年開業。
大阪市内の天神橋筋六丁目から野田までを結んでいた路面電車。
同じ路面電車の国道線と線路がつながっていた。
また車両も共通していたが、比較的ふるめの1形などがよく使われた。
都市間鉄道的な国道線に比べ街の足という性格が強かった(大阪市電が走っていないエリアだったため)。
なお天神橋筋六丁目停留所は阪急とも大阪市電とも別にあり、線路はつながっていなかった。
国道線ほど赤字ではなかったが、国道線廃止で浜田車庫が使えなくなる為、甲子園線共々巻き添えを喰らう形で同じ1975年に廃止された。
現在は同区間を阪神バスが運行されているが、ダイヤ変更毎に減便を繰り返した結果、中津発着が平日朝夕方のみ・休日昼間のみ数本程度まで激減し、天神橋筋六丁目発着に至っては平日全便運休・土休日夕方最終便1往復の免許維持路線(免許失効させない為に、客が居なくても営業運転しなければならない赤字路線)と化している。
余談だが、国道線の代替である野田阪神-阪神杭瀬駅北も毎日1往復の免許維持路線と化しており、北大阪線で運行するバスを浜田車庫へ入出庫させる為の回送ルート確保目的で運行されている。