概要
奇抜な言動を好み豪奢で目立つ装束を身につける等、常識を逸脱した行動に走る者を指す。茶道や和歌などを好む者を数寄者と呼ぶが、数寄者よりさらに数寄に傾いた者と言う意味である。
但し、単なる目立ちたがりとは趣を異とし、仲間同士の結束の高さ、退廃的な社会風潮に対する反骨精神などの表れでもあった。
「派手な振る舞いをする男」「派手な出で立ちの男」と言う意味も暗に含む。
時代に拠っては「バサラ」(婆娑羅と漢字表記する)、「伊達男」(戦国武将・伊達政宗に由来)等とも呼ばれる。
歴史上での有名な傾奇者としては前述の伊達政宗の他、前田慶次(前田慶次郎利益)が挙げられる。
傾奇者として生きる彼等は仲間同士の結束と信義を重んじ、命を惜しまない気概と生き方の美学を持ち合わせていたとされている。
反面、「常識に囚われず自由に生きる」といった名目を良い事に、傾奇者を気取っている人間達の中には、飲食代の踏み倒しやカツアゲ、婦女子への乱暴狼藉等も平然と行うだけでなく、それを自らの武勇伝として自慢する等、社会秩序を軽んじた振る舞いや問題行為に走る者が多かったのも事実である。
更には、辻斬り、辻相撲、辻踊りなど往来での無法・逸脱行為も好んで行い、博打だけでなく、修道や喫煙の風俗とも密接に関わり、遊郭等で用心棒も務めていたとされている。
その結果、将軍の代が徳川綱吉あたりの時期になってからは、幕府による傾奇者を称する人間達の取締りが厳しくなっていき、廃れていく事になる。
現在も、その行動様式は侠客と呼ばれた無頼漢達に、その美意識は歌舞伎という芸能の中に受け継がれ、今日に至る。