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後堀河天皇の編集履歴

2021-02-20 03:54:13 バージョン

後堀河天皇

ごほりかわてんのう

後堀河天皇とは日本の第86代天皇である。

生没年 1212(建暦2)~1234(天福2)年

在位 1221(承久3)~1232(貞永元)年

諱 茂仁(とよひと)王


生涯

第80代天皇・高倉天皇の第2皇子、守貞(行助入道)親王の第3皇子。

守貞親王は第82代天皇・後鳥羽天皇の同母兄であり、本来なら天皇として即位していてもおかしくない人物だったが、治承・寿永の乱で発生した平家の都落ちの時に、異母兄である第81代天皇・安徳天皇の皇太子として同道させられてしまった(乳母が平清盛4男・知盛の正室であったことも一因)。

平家滅亡の後に帰京することはできたものの、皇位は弟が継いだことで即位の道は断たれてしまい、失意のうちに出家し不遇の余生を送っていた。


しかし承久の乱で後鳥羽天皇に連なる皇族が一掃されたことで、行助入道親王の皇子でただ一人出家していなかった茂仁王に白羽の矢が立ち、承久3年12月に即位した。行助入道親王も太上天皇号を奉じられ院政が敷かれることになった。

2年後の貞応2年に行助入道親王が薨御したことで親政が始まり、9年後の貞永元年に第1皇子・秀仁親王に譲位し院政を始める。しかし元来病弱であったためか2年後の天福2年に崩御した。


関連タグ

天皇 朝廷 皇族 鎌倉時代

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