飯島三智
いいじまみち
略歴
SMAPの成功
SMAPのデビュー前の時勢は「アイドル氷河期」であり、光GENJIの人気も既に過ぎ去っていた。デビューシングルも初週2位とデビューしたてのアイドルとは思えない売上だった。
ここで当時は事務員に過ぎなかった飯島氏は自ら彼等のマネージャーになる事を名乗り上げる。歌と踊りだけで魅入らせる従来のアイドル像を打破し、バラエティ番組への進出を積極的に行う。歌と踊りに加えてお笑いも出来る、スター性と共に身近な親近感を併せ持つアイドルとして確固たる地位を築き上げた。
メリー喜多川&藤島ジュリー景子との対立
SMAPの大きな成功により、当時副社長のメリー喜多川とその娘、藤島ジュリー景子は彼女を信頼する様になる。しかし社長のジャニー喜多川は姪のジュリー氏を差し置いて飯島氏に全幅の信頼を寄せる事に、次第にメリー氏は面白くないと感じる様になる。ジュリー派の嵐が成功すると共に飯島氏への対抗心と猜疑心は募っていくばかりとなり、一部の歌番組を除き飯島派とジュリー派の共演がNGとなってしまう。
格差売り
SMAPの売上に大きく貢献した一方でKis-My-Ft2やSexy Zoneのマネジメントは一部のメンバーだけを前面的に売り出し、残りのメンバーは極端にパートを減らし、ほぼJrの様な扱いにしながら笑い者に仕立て上げたり、除け者にしていた。そのメンバーのファンからすれば、端的に言えばいじめも同然の仕打ちを受けており、この事から「飯島派のグループは好きだが、飯島本人は嫌い」と言ったファンも少なくなかった。前者は建前上は「前面に押し出された3人の様に目立たせる事」だったが、彼女の在籍中はその役割を果たされる事はなかった。後者に関してはジャニー氏の提案である事が判明しているが、当事者は後に二人とも精神を病んでしまっている。
当然、この格差売りに反対姿勢を抱かないグループがないはずがなく、デビュー時は飯島派だったものの、二人だけを前面に押し出した売り方に限界を感じたHey! Say! JUMPや、デビュー取り消し未遂などデビュー前から信頼関係が破綻していたジャニーズWESTは後にメンバー達の意志でジュリー派閥に出奔してしまっており、後者に至ってはデビュー後まもなくと言う有り様である。
一見、あまり格差がない様に思えたSMAPにも見えない格差はあった様で、その格差は修復不可能レベルの不仲にまで発展してしまっており、後のSMAP解散騒動に影響を与える様になる。
お家騒動、ジャニーズ事務所退社へ
かつてより飯島派とジュリー派とで意地の張り合いとも言える共演NGが続いてきたが、2016年初頭、次々と外堀を埋められた飯島氏はジャニーズ事務所を退社。飯島氏が請け負っていたタレント達はジュリー氏に引き取られる形で終結する筈だったが木村を除いたSMAPはこれを拒絶。SMAP解散騒動へ発展し、メンバー同士の確執は修復不可能な物に。
飯島氏はSMAP存続の為と、皮肉にも一番贔屓目に育てた木村に切り捨てられてしまい、その飯島氏を切り捨てた木村もまた皮肉にも、SMAPを守ろうとした筈が自身がSMAPから孤立してしまう結果となった。
マネージャー不在のまま、事務所内でも孤立してしまったSMAPはグループとしての出演も自身のレギュラー番組のみになってしまう等低調な活動が続いた結果、年内に本当に解散する事となってしまった。
退社後と株式会社CULEN設立
彼女が退社した後、SMAPを除き飯島派と呼ばれた所属グループはジュリー派となった事で実質派閥問題は解消。以後は飯島派とジュリー派のグループの共演がバラエティ番組などでも多く見られる様になった。
建前上は目立たせる事が目的であったにも関わらず、その実態は笑い者として扱われた舞祭組も漸く本来の役割を果たす様になり、(プラスの意味で)舞祭組としての活動は事実上終了した。Sexy Zoneも5人体制に戻ったが、これまでの除け者にされた事が積み重なっていったのか後々それぞれが休養に入ってしまっている。
ジャニーズ事務所を退社した後の2016年7月、株式会社CULENを設立。設立時は一度SMAP解散は撤回されていたものの、メンバー達は解散に向けて動き出していた事が後に報じられている。
SMAP解散後、ジャニーズ事務所を退所した稲垣吾郎、草彅剛、香取慎吾と合流。3人をCULENに引き入れて新しい地図として活動を開始した。
退社時点での飯島派
※SMAP以外は飯島氏退社時にジュリー派へ引き取られた。