2001年2月10日生まれ、父ザグレブ、母イセノトウショウ。通算48戦10勝。
2003年デビュー、北海道競馬で実績を重ね中央のラジオたんぱ杯2歳Sへ出走、重賞初制覇。
2004年弥生賞を制し1番人気で皐月賞へ出走するが2着、日本ダービーでは暴走気味になってしまい8着、セントライト記念で中央重賞3勝、菊花賞4着、JC2着、有馬記念11着。
地方馬が中央のGIで2度連対するという大きな実績を残した。
2005年宝塚記念12着、JC14着、有馬記念4着。
2006年シンガポール航空国際Cで、地方馬として史上初の海外GI制覇と史上初の芝GI制覇を達成する。秋の天皇賞4着、JC4着、有馬記念11着。
2007年シンガポール航空国際C2着、JC13着、有馬記念10着。
2008年JC17着、有馬記念11着。
2009年JC12着、有馬記念10着。スピードシンボリやナイスネイチャを超える、6年連続有馬記念出走を果たす。
2010年アイルランドで現役続行のはずだったが故障し引退、功労馬となっている。
中央へ移籍せず地方馬のまま中央へ挑み続けた。鞍上も北海道所属の五十嵐冬樹騎手が数多く勤め、地方所属騎手初の海外GI制覇を達成したが、斜行癖があったために鞍上が責められることもしばしばあった。
気性難の馬だったため、好走か惨敗か極端な馬となっていった。
地方馬としてオグリキャップ以来のスターホースであった。