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爆笑問題の編集履歴2021/07/11 10:30:27 版
編集内容:ボキャブラ時代のキャッチコピーを追加

爆笑問題

ばくしょうもんだい

爆笑問題とは、タイタン所属の漫才芸人。太田光と田中裕二の2人で結成。 ボキャブラ天国でのキャッチコピーは「不発の核弾頭」

経歴

ともに日本大学藝術学部出身(中退)。コンビ結成は1988年の事。

コント赤信号リーダー渡辺正行主催のステージでデビュー。その場で太田プロにスカウトされる。その後ホンジャマカらと共に若手のホープとして期待され、テレビレギュラーを着実に獲得する。この頃の代表作に「ウッチャンナンチャンの笑いの殿堂」がある。

しかし1990年に太田プロを突如離脱。この事に太田プロが立腹し、長きに渡りテレビの仕事が入らない、いわゆる「干された」状態が続く。理由はスカウトした人物にそそのかされたことと、自らがやりたい仕事をやりたかったことが挙げられている。当時のことについては「自分たちが全面的に悪かった」「面白ければ仕事がなくなることはないだろうと思っていた」といった反省の弁を後年に語っている。

1993年11月にNHK新人演芸大賞を受賞。これまで落語家が受賞する事が慣例だったが、漫才師として初めて受賞している。この結果に優秀賞を受賞した林家たい平が所属する落語協会が抗議をした事により翌年以降は演芸部門と落語部門が分けられる事となった。

同時期に太田の妻の光代と共に太田プロの社長と副社長に謝罪をし、筋を通したうえで光代が代表取締役を務める現在所属するタイタンを創立(※1)。再びテレビ露出が増え、「ボキャブラ天国」でのヒット、また太田の著書『爆笑問題の日本原論』の大ヒットを受け一気にトップ芸人の地位まで上り詰める。

  • ※1:光代としてはこの和解は爆笑問題が太田プロに復帰する事を前提にしたものと考えていたが、太田が復帰を頑なに拒否した為仕方なく個人事業主としてタイタンを設立する事になった。その為設立当初の光代は壁にぶち当たる度に太田プロに相談を持ちかけていた。また、タイタン主催のライブを定期的に開催する事にしたのも光代の提案であり、一般の観客の他にテレビ局や代理店の者を呼び込む意図があった。

いわゆる「付き人」となった経験は無いが、太田の持つその卓越したセンスから多くの大物芸人より称賛を受けており、中でも故・立川談志は冗談交じりに「太田は俺の隠し子」と公言していた事から、その気に入りようが伺える。また、田中もピンで情報番組に多数出演している。

ポンキッキシリーズの「爆チュー問題」も子供たちにウケている。

太田は談志、ビートたけし桑田佳祐を尊敬していることを公言。そして、桑田は「芸能界唯一のメル友」「音楽寅さんの感想をいつも送ってきてくれる」とラジオでネタにし、たけしは太田をオールスター感謝祭たけし軍団ダチョウ倶楽部と共にボコボコにし、また新潮社の雑誌で、たけし・太田・談志の鼎談が行われたが、そのCDを聴くと、談志が本当に楽しそうなのが伝わってくる。

芸風

太田の支離滅裂とも取れる言動を、田中がたしなめるようにツッコむと言うスタイルが主。

特に時事ネタを毒を持って切っていくネタにキレがあり、「ツービートの再来」と呼ばれたこともあった。

近年は、プライベートで報われない田中を太田がイジくり倒し、田中がキレ気味にツッコむと言うスタイルも定着した。

また多くのトップ芸人が多忙の為に自身のレギュラー番組しか出なくなるなか、現在もライバル芸人が司会を務める番組にゲスト出演するなど、精力的な活動を続ける。

他にも、先述した「ボキャブラ天国」で知り合った芸人達とは固いきずなで結ばれているらしく、多くのボキャブラ芸人の仕事が減っていく中、タイタンのライブにゲストとして呼び寄せたり、あるいは自身がレギュラーを務めるテレビ・ラジオ番組に出演させるなど、横のつながりを大事にしている。彼らも先輩の芸人から世話になってきたため、後輩に世話をするのは当たり前と思っているのだろう。

近年は学術的な番組への出演も増えており、NHKでレギュラー番組を持つ。

この他、雑誌のコラム執筆や小説の執筆なども。

爆笑問題の編集履歴2021/07/11 10:30:27 版
編集内容:ボキャブラ時代のキャッチコピーを追加
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