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編集者:piccoli
編集内容:地方転厩後に追記

吼えろツインターボ!!全開だ!ターボエンジン逃げ切った!!(高橋雄一アナの実況より)

概要

生年月日1988年4月13日
性別
毛色鹿毛
ライラリッジ
レーシングジイーン
母の父サンシー
競走成績35戦6勝(中央)22戦5勝(地方)13戦1勝

破滅型と称される「大勝ちか大惨敗か」の二つしかない極端なレーススタイルから、中央競馬最後の個性派とも呼ばれた。

異名は「逃亡者」「超快速の飛ばし屋」「ターフのエンターテイナー」など。ファンからはその唯一無二と言えるスタイルに尊敬を込めてか「師匠」と呼ばれる。

父ライラリッジ、母レーシングジイーン。どちらも重賞を取った経験のない、悪く言えば地味な血統であった。馬体もとにかく小柄で412kgぐらいしかなかった。特にレースで走らせるとその明らかに他馬より小さな馬体は非常に目立つものとなっている。

その小さな身体に反して二面性を持ち、馬房ではおとなしいが調教時は人が跨るのを酷く嫌がるなどの気性は荒さを見せたとされる。

とはいえその気性はレース向けの荒さではなく、馬群に入るとやる気をなくしがちで、調教にはかなり手間取った。そのキレ味にも欠けた末脚から開き直った陣営は本来格下が格上を狙う、一か八かの大逃げをツインターボのレーススタイルにすることを選択。

5着(賞金獲得圏)内を狙うならば他の作戦も選択できたかもしれないが「とにかく初っ端から全力でスタートダッシュを決め、後は馬の体力に身を任せる」というスタイルは気性的にも能力的にも選択せざるを得ない物で、新馬戦から引退までこのスタイルをほぼ貫き続けた。

唯一現役時代に一般的な定石となる差し馬スタイルを選んだのは武豊騎乗時のみ。なおこの武豊騎乗時のレース運びは快く思われておらず、おまけにろくな成績を出せなかった(15着のビリッケツ)こともあり、ファンから「逃げ馬としてのツインターボの歴史に泥を塗った」としてボロクソに言われがち。

ただしツインターボのレースがボロ負けなのはいつもの事で、新馬戦以来のダートや勝ちを模索した結果であり、武豊自身もツインターボの可能性を探るための騎乗であるため、一概に批判だけを受けていたわけではない。

一応毎年数千頭が生まれるサラブレッドの中で中央競馬の重賞を獲得できているのは上位2%以下と稀であり、立派な才能ではある。とはいえ、GⅠ戦線では全く歯が立たず名馬と言うには程遠い競争能力しかなかった。

が、時にその身を滅ぼすレベル(実際鼻出血などで長期休暇を余儀なくされた)での馬鹿逃げを駆使して勝利を収め、名馬に一泡吹かせているのは特筆に値するだろう。

逃げ馬を得意とする中舘英二騎手を得て、名馬相手に二連勝を収めたのは特に有名。(中舘騎手はツインターボのデビュー戦を見た時から「いつかツインターボに乗ってみたい」と思っていたようである)

この二戦はただ逃げているだけでなく、七夕賞では「他の馬をツインターボのペースに巻き込んで全員壊滅させる」ことで勝利した。というのもこのレース、ツインターボを含め五頭のも逃げ馬が出走しており、それぞれが先頭を取ろうとした結果超ハイペースになったのである。当レースに出走したアイルトンシンボリはスタミナ自慢の馬であったがそんな馬ですら後半にはばててしまっていたのだ。このレースがいかに無茶苦茶なペースであったかと言えば、2000mのレースで前半1000mのラップタイムが57秒4(最後尾ですら一分を切っていた)、上がり3ハロンで37秒を切った馬が皆無だったと言えば、わかる人にはわかるだろう。

分かりやすく説明するとツインターボと同じ「大逃げ」で有名なサイレンススズカ1998年の『天皇賞秋』で叩き出したタイムとほぼ同じペースである。

ちなみに勝ち時計も七夕賞としては初めて2分を切る1分59秒5というタイムであった。

また、オールカマーでは前走の七夕賞の印象から「どうせハイペースで逃げて破滅するだろう」と見せかけて1000mのラップタイムが59秒台と(ツインターボとしては)ペースを抑えめにしつつリードは取り、「ツインターボについて行って巻き添えを食らいバテてしまったら元も子もない」と思っていた他の騎手や競走馬達の裏を突くといった戦法で勝利している。

後年のウマ娘のアニメ版でオールカマーの一戦が再現された時は、チームメイトのイクノディクタスが勝ちを譲ったような台詞があるが(ツインターボとの距離を敢えて保ち、周囲のウマ娘たちにツインターボがハイペースで逃げているかのような幻惑を見せるために一役買ったとも推測できる。記事編集者の見解)、実際はかなりの頭脳戦を駆使した戦いであった。

上述の通り、『大逃げ』があまりにも有名だが、小柄故かコーナリングが非常にうまく、最終コーナーを綺麗に曲がる事も一部の競馬ファンの間では有名である。

実況からも愛されており、ツインターボが先行すると「やはりツインターボ」と名前が呼ばれるのはお決まり。勝利時にアナウンサーが放った「吼えろツインターボ!」(七夕賞)と「見事に決めたぞ!逃亡者ツインターボ!」(オールカマー)は名フレーズ・名文句として語り草である。一方で94年有馬記念でツインターボが馬群に捕らえられた際に放たれた一言「ツインターボの先頭はここで終わり!」もまた有名である。

勝ち鞍ばかり取り沙汰されるが、基本的にツインターボのレースに求められていたのは「最初にぶっ飛ばした後、バテて馬群に飲まれた後はスタスタ歩いてゴールインという通称“”逆噴射”と言われるペースの落ちっぷりであった。

そのため「どうせいつものようにバテてボロ負けする」と誰もが思っていた。が、「並み居る強豪達にその走りで勝ってしまうのではないか?」と期待させる資質は持っていた。

まるで時代劇の様式美のような負けを重ねる、賑やかしのような迷馬が、名馬を相手に一矢報いる姿を見てみたい………当時はそんな淡い期待を抱いて馬券を買っていた人やファンも多かった。

重ね重ね、能力的には到底「名馬」とは言い難く、迷馬という称号がふさわしいだろう。競走成績も、しかし競馬を自身のレーススタイルでとにかく盛り上げたという意味ではハルウララと並んで競馬界をよく賑わせた存在であり、そういう意味では紛れもない名馬であった。

地方転厩後

中央競馬を一部揺るがせたツインターボだったが、輝かしい活躍は1993年の七夕賞とオールカマーの二つだけ。起伏の無い平坦コースの地方上山競馬場に移ったものの一勝した後は振るわず、1996年のクラスターカップを最後に引退。この成績では華々しい引退式こそ望むべくもなかったが、レース前にツインターボが最初にパドック入りすると、彼一頭でパドック一周を終えるまで他の馬は示し合わせて入場せず引退式代わりの餞をするという心温まるエピソードもあった。

種牡馬入りしたものの、特に目覚ましい血統ではなく、成績的にも種牡馬としての需要はほとんどなかった。それでも5頭の産駒を残した矢先の1998年の年始、心臓の病で11歳(競走馬の平均寿命は25歳)という若さで世を去った。

ターボエンジン全開で駆け抜けた史上稀に見る逃げ馬は、死ぬときもあっという間に天国へと走り去ってしまった。

競走馬時代の勝ち鞍だけを見れば、目覚ましい活躍には程遠く、通常であれば中堅クラスの競走馬のうちの一頭と見られるような実績である。種牡馬としてもろくな成績を残せず消えていくような、一発屋的な輝きを見せた馬だった。しかし、差し馬スタイルが席巻する競馬界にある意味で一石を投じ、その個性的かつ極端なレーススタイルは、今でもファンから愛を持って語り継がれている。

結果、明らかに能力的には格下の競走馬でありながら、「20世紀の名馬アンケート」では名だたるGⅠレースを制してきた名競争馬達を抑えて、91位に滑り込むという人気っぷりを見せている。

他に投票時点でGⅠ未勝利で100位に入ったのは、ステイゴールドナイスネイチャだけである。

しかし、ステイゴールドは後にGⅠを制覇し、ナイスネイチャはGⅡを勝利したことがあり、最高勝鞍がGⅢで100位以内でランクインしたのはツインターボのみである。

また、2014年、七夕賞が投票で選ばれた歴代勝馬メモリアルレースとして行われることとなった。1位はやはりツインターボだった。

更に2017年に福島競馬場100周年を記念して『福島競馬場思い出ベストホース投票』が行われた。

こちらでもやはり1位はツインターボで2位の競走馬とは10倍以上の差を付け、投票数のほぼ半分がツインターボというぶっちぎりの状態だった。

翌年2018年には同じく福島競馬場では『ツインターボ展』も開催された。GⅠ未勝利の競走馬の展示会が開催されるのは異例のことであった。

いかにツインターボが愛されていた競走馬だったがわかるだろう。

余談

  • ちなみにボロ勝ちかボロ負けかのイメージが強いが、掲示板載るというところまで範囲を広げれば実に良いレース展開を見せており、最終結果2着と好走したレースもちらほらとある。

関連項目

競走馬

逃げ馬

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