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金鯱の編集履歴

2021-08-12 16:41:48 バージョン

金鯱

きんしゃちまたはきんこ

文字通りしゃちほこに金箔を貼ったもの。

曖昧さ回避

  1. しゃちほこに金箔または金板を張ったもの。本項にて解説
  2. サボテンの一種。
  3. 1を由来とした競馬の競走名 → 『金鯱賞

概要

一般的にしゃちほこと言えば、名古屋城に飾られている金鯱がよく知られている。

瓦製の鯱に金箔を張ったもの木造の鯱に金板を張ったものの二種類がある。


この金鯱が初めて天守閣の飾りとして用いられたのは安土城もしくは大阪城のどちらかと言われている。

織田・豊臣政権下では、許可を得ずに瓦や鯱に金を施すことは許されていなかったと見られている。


関ヶ原の戦いの後、豊臣政権の弱体化により築城に関する規制が緩くなり、天守建設が流行すると金鯱を上げる城が増えた。

しかし、徳川幕府の体制が固まると城の建築に関わる規制・禁止令が出され、しゃちほこに金を用いる城はほぼ無くなった。

また、当時の財政難という事情も加わって金を剥がして金策の足しにされたり質の低下したしゃちほこが飾られるようになっていった。


名古屋城の金鯱

1612年(慶長17年)

金鯱は雌雄一対で、天守閣北側が雄、南側が雌。冷たい北風から雌を守るために、北側が雄だと言われている。


雄は高さ2.621m 重さ1,272kg 鱗の枚数112枚。

雌は高さ2.579m 重さ1,215kg 鱗の枚数126枚。

外見では雌の方が黒目が端に寄っている、雄の方が口の開きが少し大きいなどの違いがある。


一対で慶長大判1940枚分、純金にして215.3kgの金が使用されたといわれている。


当時の金鯱は檜の木片を組合わせて造った寄木造で芯木の粗彫に鉛板を張り、その上から鱗型の銅板を銅釘で止めて、金板を張って造られた。


しかし、鯱の鱗は藩財政の悪化により、3度にわたって金板の改鋳を行って質を下げ続けた。そのため次第に金の輝きも失われ、白っぽい色になってしまった。


1945年(昭和20年)に空襲で焼失し、残骸は名古屋市旗の冠頭と、金の茶釜に加工され保存されている。


現在の金鯱は1959年(昭和34年)の天守再建時に復元されたもので、当初の金鯱と外見に違いはないが銅製のシャチに金板を鋲で止めたものに変更されている。

当初は金鯱の瞳にダイヤモンドを埋め込む案もあったが、市民の猛反発を受けて断念した。


関連タグ

しゃちほこ  天守閣


キンシャチ(けものフレンズ)……金鯱をモチーフに生まれたけものフレンズのキャラクター。

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