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ホンタイジの編集履歴

2012-01-13 12:41:27 バージョン

ホンタイジ

ほんたいじ

1 ジュンガル君主の王爵 モンゴル帝爵、汗(ハーン)の下称号(副帝)皇太子の意 2 清朝の第二代皇帝の名前 愛新覚羅皇太極

ホンタイジ(皇太子)


  1. ジュンガル君主王爵 汗(ハーン)の下称号(副帝)の意味 語源皇太子
  2. 清朝の第二代皇帝の名前 愛新覚羅皇太極

1のジュンガル君主のことを載せます。


ジュンガルの歴代君主はモンゴルにおいて副王の意味であったホンタイジ(語源は皇太子)号を採用し.


チベットダライ・ラマ法王から授与されることで即位とした。 モンゴル族はほぼチベット仏教ラマ教)を主体としている


ジュンガルホンタイジ号を使用したことで、ホンタイジの意味は副王からオイラトの盟主を指す意味にもなった。


 歴代ホンタイジ/皇太子(ジュンガル帝国君主)

称号在位
ホトゴチン(ハラフタの子)バートル・ホンタイジ1637年-1653年
センゲ(ホトゴチンの子)ホンタイジ1653年-1670年
ガルダン(センゲの弟)ホンタイジ、ボショクト・ハーン1671年-1678年※1
ツェワンラブダン(センゲの子)エルデニ・ジョリクト・ホンタイジ1694年-1727年
ガルダンツェリン(ツェワンラブダンの子)ホンタイジ1727年-1745年
ラマダルジャー(ガルダンツェリンの次男)ホンタイジ1750年-1752年
ダワチ(ホトゴチンの玄孫)ホンタイジ1752年-1755年

※1 1678年-1696年モンゴル皇帝


清朝との戦役

ジュンガル部(オイラート・モンゴル族)からは時々東西モンゴル統一を図る人物が出て、清の西部版図を犯していた 1696年 康煕帝ジュンガル討伐に出て清朝の支配下に置く、乾隆帝の代で完全に清朝に併合される。


滅亡

1755年、清の乾隆帝はこの機に乗じてモンゴル軍団八旗軍団を動員した大軍をジュンガルに進軍させ、わずか100日でタリム盆地に逃げ込んだダワチを捕獲しジュンガル帝国を滅ぼした、その後は清朝領土となる

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