概要
「河上彦斎」とは、幕末四大人斬りの一人といわれている通称「人斬り彦斎」である。
だが、伝えられている彦斎の容姿は「人斬り」とは程遠いイメージで、背丈は約150cmと小柄な色白で、一見女性に見間違うほどだったと言われている。
熊本藩士で、茶坊主、国老附き坊主を勤めた後に僧籍を脱している。
また儒学者轟武兵衛、国学者林桜園、宮部鼎蔵に学んだ教養人でもあった。
幕末の大思想家である佐久間象山を、白昼堂々に暗殺したことで有名だが、それ以外では目立った記録が無いことでも知られる。
勝海舟によると、人物像は平生は礼儀正しく温和であるが、反面平気で人を斬る残忍性も併せ持っていたと言われ、他にも頑固で野性的、激烈な性格の反面、人情に厚く、親思いで、妻子にも優しかった、普段は温厚だが、尊皇攘夷の話になると激烈な性格となるとも言われている。
しかし、開国および欧米との交流には最後まで反対という極端な攘夷思想の持ち主だったとされ、そのことから倒幕達成後は新政府の者達に疎まれるようになり、遂には罪人として処刑された。
少年ジャンプに連載されていた「るろうに剣心」の主人公緋村剣心や「銀魂」に登場した河上万斉のキャラ設定のモデルである。
逸話
剣術は収めているが実際に人を斬るのは我流であったといわれ、右足を軽く曲げて前に出し、左足は地につかんばかりの低い姿勢で逆袈裟に斬りあげるのものであったと言われる。また意外にも道場稽古では散々に打ち負かされていたとも言われる。
佐久間象山を斬った折、彦斎が蛇蝎の如く嫌う開国派でありながらも偉大な人物だったと感じたのか「初めて人を斬ったと感じた」「俺はもう人を斬れなくなった」と語ったと言う。
ある時、彦斎を含めた熊本藩士が松代藩士と交流したおり、ある松代藩士が同じく松代藩士であった佐久間象山の敵討を息子の佐久間恪二郎が図っている話を彦斎と知らずに話したところ、「私も彦斎は知っておりますが、恪二郎殿には是非とも仇を討たせたいものですな」という内容を顔色一つ変えず返答したという。
佐久間象山を暗殺した後、河上はノイローゼに悩まされ人斬りをやめ長州藩に加担し続け維新を迎えた。
岩倉使節団が日本を出る前に開かれたある会合で木戸孝允が「攘夷は時の方便だった」と発言したのを耳にするや河上は激昂し「真剣に国を憂えて行動した若者たちをお前は利用し騙したのか!」と木戸に掴みかかって鼻にかすり傷を追わせた。これが元で木戸に危険人物と見做され斬首されることとなった。