「みんなに今日も元気に"舞妓さん"でいてもらうこと。それがわたしのお仕事です」
『舞妓さんちのまかないさん』(小山愛子)の主人公。
CV:花澤香菜
フルネームや名字で呼ばれる事は少なく、たいていは下の名前で呼ばれる事が多い。(例えば「キヨさん」「キヨちゃん」など)また目上の人(勤務先である屋形のおかあさん、舞妓芸のお師匠さん、男衆のお兄さんなど)からは呼び捨てで呼ばれる。
人物
作品の主人公である「舞妓さんちのまかないさん」その人。青森県出身。
物語開始時、若干16歳ながら、屋形「市」の台所の現業を引き受け、所属する舞妓さんたちの食事の面倒を一手に見るまかないさん。
(なお、第8巻82話で17歳の誕生日を迎えており、その回の中で2018年5月のカレンダーが描かれていたので、2001年5月生まれということになる)
身長150cmに満たない小柄で、しかも童顔。そのせいで実年齢以上に幼く見える。そのため京都に来た当初や、まかないさん就任直後の時期には、家出少女と間違えられて、交番のお巡りさんに補導されかかった事もあった。
多少(というか、かなり)マイペースで、おっとりした性格。時折、後先考えずに自分の世界に没頭してしまう癖はあるものの、料理の腕は確かで、バリエーションも驚くほど多い。舞妓さんたちが必要とする「おうちの普通のごはん」を作り、彼女らの心身の安定に貢献している。
自身の職場にある鍋や食器を擬人化させてアフレコする一人芝居が、ささやかな趣味。
経歴
百はな(すーちゃん。戸来すみれ)の幼馴染で、彼女と共に仕込みさん(舞妓候補)として、中学を卒業してすぐ「市」にやって来た。頭の赤いリボンは、舞妓さんを志したすーちゃんとのお揃いで仕立てたものであり、志を同じくする者としての証でもある(第7巻・11~14ページ)。
しかし、すーちゃんの応援を優先して自身の精進が疎かになったり、呑気が過ぎる性格で競うことに対する危機感を持つことができなかったり、身だしなみに無頓着で不器用だったりと、色々と舞妓に向いていなかったため、芸のお師匠さんと屋形のおかあさんから「お止め」(辞職勧告)を言い渡される。
(なお、いくつかのサイトで見られる「言葉を京言葉に直さなかった」は、つる駒が話題に出した別の仕込みさんの話(第8巻・72~73ページ)であり、キヨの事ではないので注意。キヨは仕込みさん時代には京言葉を使おうと努力しているので「キヨが自分の言葉を京言葉に直そうとしなかった」は誤解である。)
……と、いうかキヨはすーちゃんが舞妓さんになりたいと盛り上がり、一緒に頑張ろうと全力で誘ってくれるから、それにつきあって舞妓修行に入っただけであり、本人はすーちゃんと一緒にいられれば何だって良かっただけである。(あえて穿った見方をすれば、すみれがムリヤリ自分の夢のために、おとなしいキヨを強引に巻き込んだ形だったりする)そのため最初から舞妓さんになるための目的意識はとても弱かった。(念のためにいうならばコツコツと続けて長く続けることは得意であり全力で早く結果を出そうとするタイプではなく無理なくやって倒れること無く続けるタイプ)
ところが、キヨの「お止め」のタイミングと前後して屋形に来てくれていたまかないのおばちゃんが体を痛めて倒れてしまい、屋形「市」は「舞妓さんたちが食べる料理が用意できない」という非常事態に放り込まれる。折あしく、屋形に入れる他のまかないさんたちの手も塞がっており、市のおかあさんは屋形に入ってくれるまかないさんの手配に東奔西走する事となり、それが解決するまでキヨの帰郷は棚上げとなった。
その間「市」は店屋物(出前)や買い置きのコンビニ弁当で食を凌いでいたが、その期間が長くなるにつれ屋形の内部では(時間に不規則なため食いっぱぐれが出たり、食ローテーションのバリエーションに限界を来したりなどで)ストレスフルな状況が発生。やがて店屋物もコンビニ弁当も食べられなくなる子が続出し、最後には芸ばかりで料理をしたことのないお姉さん舞妓が状況に耐えかねて料理に挑みボヤ騒ぎを起こすまでとなってしまう。
それを見かねたキヨが「わたし、ごはん作っていい?」と手を挙げた事が、おばちゃんの後任として「まかないさん」へと就任したきっかけとなった。
「まかないさん」として
仕込みさんだったころから台所が大好きであり、暇さえあれば入り浸り、前任であるまかないのおばちゃんからは「仕込みさんなのだから他の子に感心せずに、自身も芸の精進をしないと」と苦言を呈されつつも、いつしか「お手伝いをしてくれる子(事実上の助手であり弟子)」として可愛がられるようになっていた。前任のおばちゃんの腰痛が末期状態になる頃には料理の仕上げも任されるようになる。そのために「屋形に出される料理」の作法(注意点)は一通り身についていた(屋形に出される料理は、普通の家庭料理がベースではあるものの、舞妓さんの業務の支障にならないようにするための留意点が複数存在し、中にはカレーや刺激が強いものなど「作ってはいけないメニュー」も一定数存在する)事も、後任就任への決定打であった。
かくてキヨは、おばちゃんの教えと青森のおばあちゃんから習った料理を武器に、屋形の舞妓さんたちを支える事となった。
まかないさんに就任してからは屋形「市」における「食の守護神」として、おかあさん(屋形の女将さん)をよくサポートして頼もしく思われるようになっている。
特に花街における季節ものの「おすそわけ合戦」(生のタケノコなど「貰っても屋形生活では処理ができない」季節の風物詩は「おすそわけ」の名目により近所間での押し付けあいが発生する)では年若い(=花街で立場が弱い)ゆえに膨大に「おすそわけ」されてしまうおかあさんの申し訳ない思いを覆し、嬉々として様々な該当レシピを量産・消費する八面六臂の大活躍を披露した。
ところが出身地の関係で京都特有の郷土料理の知識がないこともあり、そこがまかないさんとしてのウィークポイントになる時がある。(屋形のお母さんが風邪をひいた時、男衆のお兄さんからうどんを頼まれたが、青森のうどんは汁が黒いうどんだということで作らせては駄目だと結論を出されたことがある)ただし、その時には前任者であるおばちゃんや近所の人々(お巡りさんや行きつけの商店街の人々)からサポートを貰い、即座に求められた料理を、きちんと作り出せるように努力している。
なお、仕込みさんとしての経験があるため、屋形の仕込みさんの手が空いていない(あるいは時期的に仕込みさんがいない)時などには、仕込みさんの業務(掃除洗濯や各種小物の整理など料理以外の屋形の家事、舞妓さんの荷物持ちや忘れ物のお届け、など)を臨時に代行している時がある。
また、それゆえに市の舞妓さんたちにとってみれば、年も近く話し易い相手でもあるため、彼女らの愚痴や悩みも、よく聞いている。自身は舞妓さんたちの言動に何か意見を言ったりアドバイスなどをするような事は全くと言っていいほど無いのだが、しかし故にか、キヨに話を聞いてもらった後には、いつの間にか舞妓さんたちの問題は解決している事が多い。
郷里の家族
故郷には年老いた祖母が独りで暮らしている。
母親はキヨが幼い頃に亡くしており、一方の父親は都会に出稼ぎに出ていて盆や正月お彼岸すらも「仕事が忙しい」として全く帰ってこない。(キヨという娘がいるにも関わらず、むしろキヨを忌避し嫌っているのではないかと勘繰りたくなる程に姿を見せない)そのため事実上、祖母孫家庭となっている。
キヨが京都に出た後、野月家は年老いた祖母がたった一人で暮らす独居老人家庭と化している。ただし、近所の中渡家の人々(特にキヨとすみれの、もうひとりの幼馴染である健太)が頻繁に様子見をして、キヨの祖母の面倒を見ている。(健太が京都に行ってからは健太の姉がそれを引き受けている)