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郷御前の編集履歴

2022-03-21 18:34:02 バージョン

郷御前

さとごぜん

郷御前とは平安時代末期の女性であり、源義経の正室である・・・が妾の静御前が有名すぎて、知名度が低いという不幸な女性である。

生没年 1168(仁安3)年~1189(文治5)年


武蔵の豪族、河越重頼の娘。河越氏は「坂東八平氏」と称される坂東平氏の名門・秩父党の嫡流であり、武蔵の豪族では最大の規模を持っていた。

母は源頼朝の乳母、比企尼の次女であり頼朝の嫡男・頼家の乳母である河越尼。なお姉の娘が義経の異母兄・範頼の正室となっている。


生涯

1184(元暦元)年9月、頼朝の代官として京に駐在していた義経に嫁ぐ。

この後1年の間で、屋島壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼした義経は、1185(文治元)年10月に頼朝と断交し追われることとなるが、郷御前もこの逃避行に随行した。

一方叛逆者の親族となってしまった重頼は、同年11月に所領を没収され、12月に嫡男重房と共に殺害されてしまった。


2年に及ぶ逃避行の後、1187(文治3)年に奥州藤原氏の下へ赴く(その間文治2年に女児を生んでいる)が、文治5年閏4月30日、頼朝の圧力に抗しきれなくなった奥州藤原氏当主・藤原泰衡が義経一党が住む衣川館を襲撃。義経は郷と娘を殺害したのちに、自身も自害した。


なお河越氏は、河越尼に本領である河越荘(現埼玉県川越市)が安堵され、命脈を保った。


関連タグ

源義経 静御前

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