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宮崎繁三郎の編集履歴

2022-04-25 01:29:40 バージョン

宮崎繁三郎

みやざきしげさぶろう

宮崎繁三郎は旧日本陸軍の軍人である。

概要

1892年(明治25年)1月4日、岐阜県生まれ。


陸軍士官学校(陸士)、陸軍大学校(陸大)をごくごく平凡な成績で卒業した後、参謀本部や情報畑の勤務を担当。ノモンハン事件インパール作戦では日本軍が劣勢である中、帝国陸軍屈指の野戦指揮官として活躍した。最終階級は陸軍中将

インパール作戦時の上官は牟田口廉也に対する抗命で有名な佐藤幸徳第31師団(通称:「烈」師団)長だったが、佐藤と宮崎の折り合いはあまり良くなかった、とする説も有る。


終戦後はビルマ(ミャンマー)にあるイギリス軍捕虜収容所に収容され、その後1947年(昭和22年)に帰国。東京都で陶器小売店を経営し1965年(昭和40年)8月30日に逝去した。


関連項目

軍人 陸軍 大日本帝国陸軍

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